小川光明

おがわ みつあき
小川 光明
プロフィール
出生地 中華民国の旗 中華民国 上海市
出身地 日本の旗 日本 東京都港区[1]
生年月日 (1940-03-26) 1940年3月26日(84歳)
血液型 AB型
最終学歴 中央大学法学部
職歴 日本テレビ放送網アナウンサー(1962年4月 - 2004年3月)
活動期間 1962年4月 -
ジャンル スポーツ
出演番組・活動
出演中ボウリング革命 P★League
出演経歴1球の緊張感 THE LIVE
新春スポーツスペシャル箱根駅伝
ほか、各種スポーツ中継
その他 ゲームソフト『龍が如く5 夢、叶えし者』声の出演
読売ジャイアンツ主催試合特等席「レジェンズシート」実況アナウンサー(2012年 - )
備考
2000年の定年後は2004年3月まで日本テレビの契約社員だった。
アナウンサー: テンプレート - カテゴリ

小川 光明(おがわ みつあき、1940年3月26日[注 1] - )は、日本アナウンサー日本テレビ放送網(日テレ、NTV)に在職ののち、フリー[注 2]。血液型はAB型[4]

来歴・人物

中華民国上海市生まれ、日本東京都出身[注 3]東京都立赤坂高等学校を経て中央大学法学部[注 4]卒業。1962年4月、アナウンサーとして日本テレビに入社[注 5]東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)中継[6][8]ゴルフ中継[6][8]プロ野球中継[6][8]などを担当。その間、チーフアナウンサーも務めた[注 6]

2000年に定年退職した後も、契約社員(エグゼクティブアナウンサー)として同局に留任する[注 7]2004年3月に退社し[6]5月2日読売ジャイアンツ(巨人)対広島東洋カープ戦(東京ドーム)を最後に、同局プロ野球中継の実況から卒業した[注 8]

日本テレビの実況中継卒業後は、フリーのスポーツアナウンサー・コメンテーターとして活動。長年巨人の宮崎キャンプを取材した縁で2003年宮崎県宮崎市に移住。[12][注 9]

プロ野球・福岡ソフトバンクホークスの主砲・松中信彦とは、松中が社会人時代に出場したアトランタオリンピックの取材で知り合い、現在も交友関係が続いている。特に松中が2004年に三冠王を獲得した際には、スポーツ報知に手記を寄せている。

2006年4月からは日テレ系列のBS日テレの「ボウリング革命 P★League」の実況を務める。日テレ局アナ時代を彷彿とさせる冷静沈着な実況で戦況を伝えており現在[いつ?]、全大会の決勝戦を担当している。2008年には「スカイ・Aスタジアム・LIVE RAKUTEN わしづかみ」(東北楽天ゴールデンイーグルス主催試合)の実況を担当した。

2012年より東京ドームでの巨人主催試合で特別に設けられた「レジェンズシート」での実況アナウンサーを担当している[注 10]

出演番組

現在の担当番組

過去の担当番組

※特記ない限り、日本テレビ在職当時、同局で放送された番組。

テレビドラマ

ゲームソフト

エピソード

プロ野球中継

1997年から1999年までに小川が実況を担当した巨人戦では、「小川アナが実況すると巨人は負けない」とまで言われた(いわゆる不敗神話。事実、翌年までの実況を担当した日の巨人の成績は16戦15勝1敗だった)[注 22]

主な担当試合

  • 1976年10月11日の巨人対阪神戦(後楽園球場)で王貞治ベーブ・ルースの本塁打記録を抜く715号本塁打(相手は山本和行)達成の瞬間を実況した[13][38]
  • 1976年の日本シリーズ第6戦(対阪急、後楽園球場)では巨人が0-7からの逆転サヨナラ勝ちを実況した[39]
  • 1979年6月2日の江川卓の初登板試合を実況した[40]
  • 1983年4月10日の巨人対大洋戦で駒田徳広のプロ初打席満塁本塁打を実況している[41]
  • 1983年10月11日の巨人対ヤクルト戦(後楽園球場)でも巨人のリーグ優勝の瞬間と藤田元司監督の胴上げを伝えた(解説は金田正一[42]
  • 1986年6月26日の巨人対阪神戦(後楽園球場)で、ランディ・バースの7試合連続本塁打(日本タイ記録。相手は江川卓)達成の瞬間も実況している(解説は青田昇と堀内恒夫)[43]
  • 1990年の開幕戦での篠塚和典疑惑の本塁打1990年4月7日、対ヤクルト戦。相手は内藤尚行)や[44]、高橋由伸のプロ入り初本塁打(1998年4月7日、対広島戦。相手は山内泰幸)も実況している[45]
  • 2000年9月24日の対中日ドラゴンズ戦で、9回裏0-4から、江藤智の満塁ホームラン、二岡智宏のサヨナラホームランの2者連続ホームランでジャイアンツが逆転サヨナラ勝ちして、セ・リーグ優勝を決めた試合[9]
  • 巨人のシーズン開幕戦の実況(開催が東京ドーム(1987年までは後楽園球場)の場合のみ)は1975年(対大洋)、1981年(対中日)[46]、1982年(対ヤクルト)[47]、1984年(対阪神)[48]、1987年(対中日)[49]、1989年[50]、1990年(いずれも対ヤクルト)[51]、1993年(対横浜)[52]、1994年(対広島)[53]、1996年[54]、1999年(いずれも対阪神)[55]、2000年(対広島)の12回担当している[56](実況を担当した開幕戦での巨人の成績は9勝2敗1引き分け)。特に1987年の開幕戦では西本聖がこの年ロッテから中日に移籍した落合博満に対し、得意のシュートを駆使して4打数1安打に抑え、完封勝利を挙げている。さらに前述の1990年の開幕戦での疑惑の本塁打のほかに、1994年と2000年の開幕戦では松井秀喜が本塁打を打っている[57][注 24]
  • 2001年8月9日、巨人VS阪神戦の中継をしていたときのこと、野球中継延長のためこの後の番組『どっちの料理ショー』の放送開始時間が午後9時30分になることを伝えていた時に巨人が点を入れ5-2になったので本当なら「なお、『どっちの料理ショー』は9時30分からお送りします。」と言うべきところを「なお、『どっちの料理ショー』は5-2です」と発言。すると、その後に放送された『どっちの料理ショー』の結果(当時の対戦カードは夏野菜のリゾットvs海鮮中華粥で勝ったのは海鮮中華粥だった)が本当に5-2になった。この事は小川にはまったく知らされていない。このエピソードはこの年の12月27日に放送した『徳光&所のスポーツえらい人グランプリ』や2009年3月2日放送の『人生が変わる1分間の深イイ話』、2010年10月8日放送の『金曜スーパープライム』、2023年12月31日放送の『笑う大晦日』でも取り上げられた[注 25]
  • 2009年以降、年1回夏季にスカパー!の企画で、広島対巨人戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)の実況を担当している[注 26]。解説は、日テレ・広島テレビ解説者の山本浩二池谷公二郎が務め、往年の日本テレビの中継の再現となっている(中継自体は、フジテレビ系列のTSS制作、または子会社のTSSプロダクションが制作協力)。また、前述の不敗神話も健在であったが、2014年8月17日に広島が勝利したことにより、ついに不敗神話が途切れることとなった。
    • 2009年8月12日。7回には一挙9点を挙げるなど、23安打の猛攻で、16-5で巨人が大勝した[59][注 27]
    • 2010年7月31日。試合は5-0で巨人が勝利した。特に7月中は巨人投手陣が不安定な中、6月18日の対中日戦以来となる、約1ヶ月半ぶりの完封勝利となった[61]
    • 2011年8月28日[注 28]。試合は両チームとも決め手となる1点が入らず、延長戦までもつれる展開となったが、4-2で巨人が勝利した。
    • 2012年9月25日[注 29]。両チーム一歩も譲らない接戦となったが、3-2で巨人が勝利した。
    • 2013年8月9日。巨人が5-4で逆転勝ちし、優勝マジック39が点灯した[66]
    • 2014年8月17日。途中までは巨人がリードしていたが、8回に不動のセットアッパーである山口鉄也が広島打線に一挙に3連続適時打で3点を失い、広島が5-4で逆転勝ち[67]
    • 2015年は、4月9日にBSスカパー!で放送の『スカパー! プロ野球セットpresents 2015 プロ野球 広島×巨人』で実況を担当[注 30]

ゴルフ

青木功が日本人で初めて、アメリカPGAツアーで優勝したハワイアン・オープン(1983年)の中継を担当[注 31]

オリンピック

その他

  • 箱根駅伝の中継では、日本テレビ系列が中継を始めた1987年から8年連続でセンター実況を担当[76]、その後もスタート・ゴール実況やインタビュアーとして、中継に長く携わった[77]
  • ドラマ『太陽にほえろ!』第81話「おやじバンザイ」で、警察による犯人包囲の模様を実況するアナウンサー役でゲスト出演したことがある[78]

参考資料

  • 外部リンク
    • 日本テレビ公式サイト
  • 『実況! 熱きことばの伴走者たち』(1994年3月発売・4月1日発行、日本テレビ放送網アナウンス部編著・創拓社発行)ISBN 9784871381772
    • 第1部第4章「この道ひとすじ」(P53-64掲載) ※小川へのインタビュー記事(プロ野球中継に関するコメントが記載)。
    • ふろく「テレビと共に108人」(P213-242掲載) ※歴代の日本テレビアナウンサーを入社年ごとにまとめた年表。世の中の出来事と併せ、アナウンサーの動きについても記載。1994年当時の日本テレビアナウンサーのプロフィール[注 33]が記載。
  • 『12球団全選手カラー百科名鑑』シリーズ各年版
    • 『12球団全選手カラー百科名鑑2000』(『ホームラン』2000年3月号増刊。同31日、日本スポーツ出版社発行)
      • 「2000プロ野球アナウンサー紹介」(P218-221掲載)
    • 『12球団全選手カラー百科名鑑2004』(『ホームラン』2004年3月号増刊。同31日、日本スポーツ出版社発行)
      • 「2004プロ野球アナウンサー紹介」(P240-243掲載)
  • 週刊読売』1985年10月20日号(読売新聞社発行)
  • 週刊ベースボール』2005年1月31日号(第60巻・第4号・通算2676号。同日、ベースボール・マガジン社発行)
    • 「私の球界改革論」第10回 小川光明(P88-91掲載)
  • 『ザ・テレビ欄0 1954〜1974』(2009年8月31日、TOブックス発行、テレビ欄研究会編・著、ISBN 4904376102) - 1954年から1974年の間に発行された報知新聞東京本社版テレビ欄の一部を掲載(奥付に「協力:株式会社報知新聞社」のクレジットあり)。
  • 『報知新聞』→『スポーツ報知』バックナンバー(報知新聞社発行)
    • 『巨人レジェンド回顧録 あの時 Part2』(『スポーツ報知』特別号。2015年5月28日発売[注 34]。報知新聞社発行) ※2014年に巨人軍創立80周年記念として連載された記事『「あの時」第2部』の同8月 - 12月掲載分を加筆・再録したもの。
      • 18・19面掲載「元日本テレビアナウンサー 小川光明」(取材・構成:洞山和哉)
  • 『月刊パームス』2015年3月号 No.280(2015年2月25日発行)P36・37掲載インタビュー記事「大好きな宮崎をホームタウンに、今後も遊び心を忘れず実況に取り組みたい!」(『太陽放談』第166回ゲスト フリー・アナウンサー 小川光明さん)[注 35](P37下部に、2月5日取材である旨が明記)…ウェブ版(『miyazaki ebooks』より…html版、swf版=原資料をデジタルスキャン化したもの)

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 生年は次の資料を[2][3]、生年月日は次の資料を[4][5][6][7][8]参照。
  2. ^ 『週刊ベースボール』2005年1月31日号掲載記事より、元日本テレビアナウンサー、フリーアナウンサーとして紹介。次の資料でも、日本テレビ退職後にフリーとなった旨が明記[8]
  3. ^ 出身地について、
    • 「上海生まれ」と記載…[7][8]
    • 「東京都出身」と記載…[2][3][4][5](一部資料では、東京都生まれと記述[6]
  4. ^ 東京都立赤坂高等学校卒業であることは次の資料を[3][5]、中央大学法学部卒業であることは次の資料を[3][5][6][8]参照。
  5. ^ 1962年に日本テレビへ入社したことは、次の資料を[3][6]、同年4月に入社したことは次の資料[2][8]をそれぞれ参照。
  6. ^ 参考:[4][5]
  7. ^ 定年後も契約社員として在職したことについては、次の資料を参照[9]。エグゼクティブアナウンサーという肩書で在職したことについては、次の資料を[8][10]参照。また、2000年発行のプロ野球名鑑でも「今年は嘱託アナとして聞けるとは思うが」と前置きしつつ定年の旨が言及されている[11]
  8. ^ 2004年5月2日の巨人対広島戦中継で日本テレビの実況から卒業したことについては、次の資料を[6][9][10]参照。
  9. ^ 一方、2015年発売の新聞記事には3年前に宮崎へ自宅を移したとする記述が[10]、同年発行の雑誌記事には5年前に宮崎へ移住したとする本人の発言が[13]見られる。
  10. ^ 参考:[14][15]
  11. ^ 2015年2月の雑誌記事より、現在の担当番組としてUNK(テレビ宮崎)にもネットされている旨を含め記載(タイトルは「ボウリング革命P☆LEAGUE」表記)[3]
  12. ^ 2015年2月の雑誌記事より、現在の担当番組として記載[3]
  13. ^ 『12球団全選手カラー百科名鑑』シリーズでは、定年→嘱託となった2000年版から2004年版まで引き続き、日本テレビ系列各局のプロ野球アナウンサー名簿に記載された(ただし、2000年版のみ読売テレビの一番手に誤って記載された[11]。その後は、日本テレビの一番手に記載)。
  14. ^ NTV在職当時プロ野球中継担当だったことは次の資料も参照[3][13]
  15. ^ 参考:2008年5月当時の『スカイ・Aスタジアム LIVE RAKUTEN わしづかみ』中継予定表(5月5日 - 7日の対ソフトバンク3連戦[17]、6月14日 - 15日の対巨人交流戦[18]、7月11日 - 13日の対ロッテ戦[19]、9月26日 - 27日の対オリックス戦[20]
  16. ^ NTV時代にゴルフ中継を担当していたことについては、次の資料も参照…[3][13]
  17. ^ 参考…『世界空手道選手権大会』(1970年10月10日、日本武道館より放送の決勝戦・三位決定戦[21]
  18. ^ NTV在職当時箱根駅伝中継担当だったことは次の資料も参照[3][13]
  19. ^ NTV在職当時ボクシング中継担当だったことは次の資料を参照[3][13]
  20. ^ 1997年6月放送分[24]、同12月放送分[25]
  21. ^ 参考:[31][32][33]
  22. ^ 参考:[7][34]。また、2000年発行のプロ野球名鑑より、1999年夏にストップするまで、実況を担当した試合で巨人が勝ち続けたというエピソードが紹介されている[35]
  23. ^ 巨人V9達成を実況したことについては、次の資料を参照[36](実況放送告知[37])。
  24. ^ 1994年は北別府学紀藤真琴、2000年は佐々岡真司から。
  25. ^ 『TVでた蔵』での『金曜スーパープライム』2010年10月8日放送分解説記事[58]より、"2001年の巨人阪神戦で、小川光明が「どっちの料理ショーは5対2です」と伝えてしまったシーンが紹介された。"という記述あり。
  26. ^ 次の資料より、年に1回スカパー!で放送されるマツダスタジアムの広島対巨人戦中継で実況を担当する旨が明記[10]
  27. ^ 2009年8月12日の広島対巨人戦について、スカパー!向けの中継にて山本浩二・池谷公二郎の解説とともに実況を務めることが記載[60]
  28. ^ 参考:[62]。2011年8月28日の中継でリポーターを担当した石原敬士のブログでも、小川が実況を担当したことが明記[63]
  29. ^ 参考:[64]。2012年9月25日付の石原敬士のブログより、同日にスカパー!で放送の広島対巨人戦中継で仕事をしたことが明記[65]
  30. ^ 参考:2015年4月9日の放送告知記事…[68]
  31. ^ 青木功の日本人初となるアメリカPGAツアー優勝を担当したことについては、次の資料を参照[13]。のちに思い出に残る放送に挙げている[69]。同中継については、吉田填一郎も担当[70][71][72]
  32. ^ 1996年のアトランタオリンピックで開会式実況担当および柔道女子の恵本金メダル獲得については、後年日本テレビ公式サイトで配信されたプロフィールの中で、最も感動した体験に挙げている[2]
  33. ^ 同年の新入社員羽鳥慎一藤井貴彦を含む。ただし、定年退職の本多当一郎除く。
  34. ^ 発行日については、紙面上に明記されず。発売日については、次の資料を[79][80]参照。
  35. ^ html版のタイトルは「大好きな宮崎をホームタウンに、今後も遊び心を忘れず実況に取り組みたい! 名アナウンサー小川光明さん」

出典

  1. ^ NHKウィークリーステラ1997年5月23日号全国アナウンサー/キャスター名鑑
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 1999年から2000年当時、日本テレビ公式サイトで配信されたプロフィールを参照。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 『月刊パームス 3月号 No.280』(2015年2月25日発行)P36・37掲載インタビュー記事「大好きな宮崎をホームタウンに、今後も遊び心を忘れず実況に取り組みたい!」より、プロフィールを参照。
  4. ^ a b c d 『実況!』P53に掲載されたプロフィール
  5. ^ a b c d e 『実況!』P217に掲載されたプロフィール(年号は、和暦=昭和15年で記載)
  6. ^ a b c d e f g h i 『週刊ベースボール』2005年1月31日号P89に掲載されたプロフィール
  7. ^ a b c スポーツ報知 2014年9月25日24面 「巨人軍80周年 あの時」第15回
  8. ^ a b c d e f g h i 『巨人レジェンド回顧録 あの時 Part2』18面に掲載されたプロフィール
  9. ^ a b c 日テレ・小川アナ野球実況に幕 - 『ウェブ報知』内「ジャイアンツ情報」2004年5月2日付(インターネットアーカイブ同4日付保存キャッシュ)
  10. ^ a b c d 『巨人レジェンド回顧録 あの時 Part2』19面
  11. ^ a b 『12球団全選手カラー百科名鑑2000』P218-219
  12. ^ 読売新聞宮崎版、2013年8月5日
  13. ^ a b c d e f g h i j 『月刊パームス 3月号 No.280』(2015年2月25日発行)P36・37掲載インタビュー記事「大好きな宮崎をホームタウンに、今後も遊び心を忘れず実況に取り組みたい!」より、インタビュアーの質問に対する本人の回答を参照。
  14. ^ 2012年5月下旬当時、イープラスのサイト内で配信された「レジェンズシート」の情報サイトトップページ(インターネットアーカイブ同26日付保存キャッシュ)
  15. ^ 2012年6月当時、イープラスのサイト内で配信された「レジェンズシート」の解説者・実況アナウンサー一覧(インターネットアーカイブ同3日付保存キャッシュ)
  16. ^ a b c d e f g h i j k l 外部リンクより、『劇空間プロ野球'96』担当当時、NTV公式サイト内で配信されたプロフィールを参照。
  17. ^ 2008年5月当時の『スカイ・Aスタジアム LIVE RAKUTEN わしづかみ』公式サイト(インターネットアーカイブ同4日付保存キャッシュ)
  18. ^ 2008年6月当時の『スカイ・Aスタジアム LIVE RAKUTEN わしづかみ』公式サイト(インターネットアーカイブ同7日付保存キャッシュ)
  19. ^ 2008年7月当時の『スカイ・Aスタジアム LIVE RAKUTEN わしづかみ』公式サイト(インターネットアーカイブ同2日付保存キャッシュ)
  20. ^ 2008年9月当時の『スカイ・Aスタジアム LIVE RAKUTEN わしづかみ』公式サイト(インターネットアーカイブ同15日付保存キャッシュ)
  21. ^ 『報知新聞』東京版1970年10月10日朝刊テレビ欄内日本テレビ番組表(『ザ・テレビ欄0』P170にも掲載)より、昼4:30 - 5:30枠(時刻表記は現資料より)の『[カラー]世界空手道選手権大会・決勝戦、三位決定戦』を参照。 ※出演者について“小川アナ”のクレジットあり。 “[カラー]”…■に白抜きで“カラー”
  22. ^ 『実況!』P231
  23. ^ 日本テレビ『第80回東京箱根間往復大学駅伝競走』公式サイト内解説・実況アナウンサー一覧
  24. ^ 1997年5月日本テレビ番組審議会概要(『あなたと日テレ』同6月放送分後記。小川による、同放送分から司会を務める旨のコメントが見られる) - 日本テレビ公式サイトより(インターネットアーカイブ2013年6月18日付保存キャッシュ)
  25. ^ 1997年11月日本テレビ番組審議会概要(『あなたと日テレ』同12月放送分後記) - 日本テレビ公式サイトより(インターネットアーカイブ2013年6月18日付保存キャッシュ)
  26. ^ 2001年当時の『ズームイン!!SUPER』公式サイト内出演者リスト(インターネットアーカイブ同10月3日付保存キャッシュ)
  27. ^ 『デジナマ巨人2005』公式サイト(インターネットアーカイブ2005年12月11日付保存キャッシュ)
  28. ^ a b スカパー!『タイガー・ウッズ×石川遼 〜everyone meets the dream〜』告知ページ(インターネットアーカイブ2010年11月4日付保存キャッシュ)
  29. ^ a b スカパー!『タイガー・ウッズ×石川遼 〜everyone meets the dream〜』告知ページ(インターネットアーカイブ2010年12月4日付保存キャッシュ]
  30. ^ a b テレビドラマ人名録「小川 光明」 - テレビドラマデータベース
  31. ^ 『龍が如く5 夢、叶えし者』に宮本和知さん・小川光明さんが実況で登場 - 『ファミ通.com』2012年11月26日付
  32. ^ 本物のスポーツコメンテーターが15年前の試合を彩る! 『龍が如く5 夢、叶えし者』に宮本和知さんと小川光明さんが出演 - 『電撃オンライン』2012年11月26日付
  33. ^ 「龍が如く5 夢、叶えし者」,スポーツコメンテーターの宮本和知さんと元日本テレビアナウンサーの小川光明さんの出演が決定 - 『4gamer.net』2012年11月26日付
  34. ^ 神がかり…ラジオ日本・小林アナ実況の“G不敗伝説” 入団3年目初先発オビスポも勝たせた - 『ZAKZAK』(『夕刊フジ』ウェブ版)スポーツ 2009年7月3日(インターネットアーカイブ2009年7月6日付保存キャッシュ)
  35. ^ 『12球団全選手カラー百科名鑑』P219
  36. ^ 『月刊パームス 3月号 No.280』(2015年2月25日発行)P36・37掲載インタビュー記事「大好きな宮崎をホームタウンに、今後も遊び心を忘れず実況に取り組みたい!」を参照。
  37. ^ 報知新聞 1973年11月1日 2面(実況・解説・ゲスト紹介)他、当日の各新聞テレビ欄など
  38. ^ 報知新聞 1976年10月11日 2面(実況紹介)他、1976年10月12日 報知新聞 1 - 3面など
  39. ^ 報知新聞 1976年11月1日 2面(実況紹介)他、1976年11月2日 報知新聞 1 - 3面など
  40. ^ 報知新聞 1979年6月2日 2面(実況紹介)他、1979年6月3日 報知新聞 2 - 3面など
  41. ^ 報知新聞 1983年4月10日 2面(実況紹介)他、1983年4月11日 報知新聞 2 - 3面など
  42. ^ 報知新聞 1983年10月11日 2面(実況・解説紹介)他、1983年10月12日 報知新聞 1 - 3面など
  43. ^ 報知新聞 1986年6月26日 2面(実況・解説紹介)他、1986年6月27日 報知新聞 1 - 3面など
  44. ^ 報知新聞 1990年4月7日 2面(実況・解説紹介)他、1990年4月8日 スポーツ報知 1 - 3面など
  45. ^ スポーツ報知 1998年4月7日 2面(実況・解説紹介)他、1998年4月8日 スポーツ報知 1 - 3面など
  46. ^ 報知新聞 1981年4月4日 2面(実況紹介)他
  47. ^ 報知新聞 1982年4月3日 2面(実況紹介)他
  48. ^ 報知新聞 1984年4月6日 2面(実況紹介)他
  49. ^ 報知新聞 1987年4月10日 2面(実況紹介)他
  50. ^ 報知新聞 1989年4月8日 2面(実況紹介)他
  51. ^ 報知新聞 1990年4月7日 2面(実況紹介)他
  52. ^ スポーツ報知 1993年4月10日 2面(実況紹介)他
  53. ^ スポーツ報知 1994年4月9日 2面(実況紹介)他
  54. ^ スポーツ報知 1996年4月5日 2面(実況紹介)他
  55. ^ スポーツ報知 1999年4月2日 2面(実況紹介)他
  56. ^ スポーツ報知 2000年3月31日 2面(実況紹介)他
  57. ^ 報知新聞→スポーツ報知 1981年4月5日、1982年4月4日、1984年4月7日、1987年4月11日、1989年4月9日、1990年4月8日、1993年4月11日、1994年4月10日、1996年4月6日、1999年4月3日、2000年4月1日 それぞれ1 - 3面 他
  58. ^ 2010年10月8日放送『金曜スーパープライム』番組情報(3ページ目) - 『TVでた蔵』より
  59. ^ スポーツ報知 2009年8月12日 2面(実況・解説紹介)他、2009年8月13日 スポーツ報知 2 - 3面など
  60. ^ 放映権料バラ売り案…G戦中継生き残りへ苦肉の策 1試合3者の買い手、効率的な薄利多売方式 - 『ZAKZAK』2009年8月12日付芸能ニュース(インターネットアーカイブ同15日付保存キャッシュ)
  61. ^ スポーツ報知 2010年7月31日 2面(実況・解説紹介)他、2010年8月1日 スポーツ報知 2 - 3面など
  62. ^ スポーツ報知 2011年8月28日 2面(実況・解説紹介)他、2011年8月29日 スポーツ報知 2 - 3面など
  63. ^ 『石原敬士の声心』2011年8月配信分(インターネットアーカイブ2013年4月20日付保存キャッシュ)より、2011年8月28日22時56分「勉強」を参照。
  64. ^ スポーツ報知 2012年9月26日 2面(実況・解説紹介)他、2012年9月27日 スポーツ報知 2 - 3面など
  65. ^ 『石原敬士の声心』2012年9月配信分(インターネットアーカイブ2013年4月20日付保存キャッシュ)より、2012年9月25日23時51分「年に一度の」を参照。
  66. ^ スポーツ報知 2013年8月9日 2面(実況・解説紹介)他、2013年8月10日 スポーツ報知 1 - 3面など
  67. ^ スポーツ報知 2014年8月17日 2面(実況・解説紹介)他、2014年8月18日 スポーツ報知 1 - 3面など
  68. ^ スカパー! で独占生中継決定 4月9日(木)プロ野球 広島×巨人 午後5時45分より試合終了まで生中継 - 『スカパー!エンタメ情報館』2015年3月17日15時付ニュースリリース(インターネットアーカイブ同4月23日付保存キャッシュ)
  69. ^ 『週刊読売』1985年10月20日号P127掲載の名鑑
  70. ^ 『実況!』P227より、昭和58年(1983年)の年表内アナウンス部メモを参照。
  71. ^ 『週刊読売』1985年10月20日号P129に掲載された吉田の名鑑より、思い出に残る放送に挙げている。
  72. ^ 『実況!』P221に掲載された吉田のプロフィールより、思い出に残る放送に挙げている。
  73. ^ a b ザテレビジョンKADOKAWA)1996年7月19日号「アトランタオリンピック番組表」より。
  74. ^ 第1回 障害者スポーツの魅力を伝えたい! 〜スカパー!の挑戦〜(1/5) - 『挑戦者たち[CHALLENGERS.TV]』内連載コラム『二宮清純の視点』(文:二宮清純)2010年12月2日付
  75. ^ 第2回 健常者にこそバリアがある! 〜スカパー!の挑戦〜(2/5) - 『挑戦者たち[CHALLENGERS.TV]』内連載コラム『二宮清純の視点』(文:二宮清純)2010年12月9日付
  76. ^ 読売新聞 1987年 - 1994年 1月2日テレビ欄 など
  77. ^ 読売新聞 1995年 - 2004年 1月2日テレビ欄 など
  78. ^ ビデオ『太陽にほえろ!4800シリーズ Vol.63「長さん親子編」』(バップ)など収録。
  79. ^ 巨人レジェンド回顧録「あの時・パート2」28日発売 - スポーツ報知ウェブ版 2015年5月26日6時(インターネットアーカイブ同31日付保存キャッシュ)
  80. ^ よみがえるG伝説…「巨人レジェンド回顧録 あの時 Part2発売 - スポーツ報知ウェブ版 2015年5月27日16時12分(インターネットアーカイブ同28日付保存キャッシュ)

関連項目

外部リンク

  • 日本テレビ公式サイトの保存キャッシュ一覧 - インターネットアーカイブより
    • 『アナウンサーからの番組メモ』トップページ - 1997年4月19日付保存キャッシュ
      • 1996年当時配信された、『劇空間プロ野球'96』(プロ野球中継)告知記事・プロフィール(上記からリンク) - インターネットアーカイブ1997年4月19日付保存キャッシュ
    • 1999年11月当時のプロフィール - インターネットアーカイブ同28日付保存キャッシュ
    • 2000年3月当時のプロフィール - インターネットアーカイブ同2日付保存キャッシュ
夏季オリンピック
アトランタオリンピック(1996年)
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シドニーオリンピック(2000年)
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アテネオリンピック(2004年)
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東京パラリンピック(2021年)
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  • 北郷三穂子(NHK)※開会式・閉会式アシスタント
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  • 緒方宏一郎(NHK)
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ラグビーワールドカップ(※)
南アフリカ大会(1995年)
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オーストラリア大会(2003年)
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ニュージーランド大会(2011年)
  • 鈴木健(日本テレビ)
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(※)冬季オリンピックが単偶数年となった1994年以降を記載(FIFAワールドカップ、ラグビーワールドカップ等もこれに準ずる。)。フリーでの出演者は記載しない。テンプレート堀尾正明、神田愛花
日本テレビ箱根駅伝センター実況アナウンサー

小川光明1987-1994 / 芦沢俊美1995-1996 / 山下末則1997-2004 / 船越雅史2005-2006 / 村山喜彦2007-2014 / 平川健太郎2015-

あなたと日テレ歴代司会者
期間 司会者
1997.1 1997.6 舛方勝宏 山王丸和恵
1997.6 1997.12 小川光明
1998.1 1998.4 松永二三男
1998.4 1999.6 金子茂
1999.6 2003.3 村山喜彦
2003.4 2005.3 古市幸子
2005.4 2006.9 山下美穂子
2006.10 2011.3.27 鷹西美佳 寺島淳司
2011.4.3 2012.9.30 菅谷大介
ボウリング革命 P★League
出場選手
現在
過去

阿部聖水 - 石塚香織 - 板倉奈智美 - 大山由里香 - キム・スルギ - 金城愛乃 - 酒井美佳 - 酒井玲佳 - 佐々木菜月 - 佐藤まさみ - 佐藤美香 - 佐藤幸恵 - 清水弘子 - 高坂麻衣 - 竹俣茉耶 - 田代小夏(DVDのみ) - 谷川章子 - 津澤久美 - 戸塚里恵 - 中谷優子 - 西村美紀 - 張ヶ谷順子 - 姫路麗 - 宮城鈴菜 - 向谷美咲 - 柳美穂 - 山本由紀 - 吉田真由美

放送席
現在

実況:小川光明 - 伊津野亮 - 田中良典 / 解説:丸山高史 - 矢野欽太 / リポーター:本幸拓真 / ナレーション:高地真吾 / サポーター:米村姫良々

過去

実況:藤田大介 - 上田まりえ - 藤井恒久 / 解説:中谷彰宏 - 山本幸治 - 北岡義実 / リポーター:山本真純 - 加藤俊介 / ナレーション:星野大輔 - 野村富美江 / アシスタント:山岸舞彩 / サポーター:中島早貴 - 上國料萌衣

試合会場
会場

田町ハイレーン(第1戦 - 第43戦、第45戦 - 第55戦) / トミコシ高島平ボウル(第44戦のみ) / 川崎グランドボウル(第56戦 - 第89戦) / アイビーボウル向島(第90戦 - )

1 ★はアマチュア選手