鎧を着たフェリペ2世の肖像

『鎧を着たフェリペ2世の肖像』
イタリア語: Ritratto di Filippo II in armatura
英語: Portrait of Philip II in Armour
作者ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
製作年1551年
種類油彩キャンバス
寸法193 cm × 111 cm (76 in × 44 in)
所蔵プラド美術館マドリード

鎧を着たフェリペ2世の肖像』(よろいをきたフェリペ2せい、: Ritratto di Filippo II in armatura, 西: Retrato de Felipe II con armadura, : Portrait of Philip II in Armour)は、ルネサンス期のヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1551年に制作した肖像画である。油彩。20代前半の鎧を身に着けたスペイン国王フェリペ2世の肖像を全身像として描いている。現在はマドリードプラド美術館に所蔵されている[1][2][3][4]

制作経緯

ティツィアーノはフェリペ2世がまだ王太子だった頃にミラノアウグスブルクで会っており、ティツィアーノはこの2つの機会にそれぞれ皇太子の肖像画を制作している。最初の機会は1548年12月から1549年1月にかけてフェリペ2世に会うためにミラノを訪れた時であり、同年1月29日に制作した肖像画の対価として1000エスクードを、フェリペ2世の叔母にあたるハンガリー王妃マリア・フォン・エスターライヒスペイン・ハプスブルク家に仕えた枢機卿アントワーヌ・ド・グランヴェルのための複製制作後の7月9日に受け取った[3]

もう1つの機会は2度目にアウグスブルクに旅行した1550年11月から1551年であり、本作品はこの時に制作された。1551年5月16日にフェリペ2世はハンガリー王妃マリアに手紙の中で不満を漏らしている。

鎧を身に着けた私の肖像画は・・・とてもよく似ていますが、急いで描かれたことが容易に分かる出来であり、もしより多くの時間があったならば、彼にもう一度描いてもらうことができたはずです[3][4]

作品

フアン・パントーハ・デ・ラ・クルスによって複製されたティツィアーノによるカール5世の肖像画。

ティツィアーノは王の威厳を表す偉大な身振り(a gesto bell di maestá reale)で立つフェリペ2世を描いている。フェリペ2世が着けた黒い鎧はアウグスブルクのコールマン・ヘルムシュミット(英語版)が制作したもので[3]金象嵌が施されている[4]。彼の背後には深紅のベルベットで覆われたテーブルが配置され、その上に黒い兜が置かれている。フェリペ2世は右手を伸ばしてその黒い兜の上に置き、左手で帯剣した剣の鞘を握りながら鑑賞者を見つめている。ここに描かれた甲冑は祝祭用であり[4][5]、現在もマドリード王立武具博物館(英語版)に所蔵されている[2][4]。さらにテーブルの奥の暗い背景の画面左端には大きな石柱が立っている。ティツィアーノは石柱や甲冑、テーブルといった要素に重点を置くことで君主の威厳を強調する一方、フェリペ2世をすべらかに理想化して描いており、実際の中背の屈強な人物像ではなく、すらっとした君主像を表現している[3]

一般的に本作品はフェリペ2世が1551年の手紙の中で言及している肖像画と同一視されているが、これに反対したのは美術史家チャールズ・ホープ(英語版)である。フェリペ2世の「急いで」という言葉は肖像画が洗練されていないか、あるいは品質が悪かったことを推測させるのに対し、ホープは本作品が壮大かつ詳しく描かれており、完成していると思われることから、フェリペ2世の不満は不当であり、本作品を1549年のバージョンであると考えた[3]。1549年の肖像画と同様に本作品も複数の複製が制作されたことは、1553年のフェリペ2世の目録と1558年のハンガリー王妃マリアの目録にプラド美術館のバージョンと一致する肖像画が記載されていることから分かっている。本作品はプラド美術館のバージョンがフェリペ2世が自分のために保管していた1551年のバージョンのオリジナルであり、マリアのために制作された複製は所在不明であると考えられている[3]

X線撮影を用いた科学的調査により、ティツィアーノは依頼者の父であるカール5世の全身肖像画の上に彼の肖像画を描いたことが判明している[3][4]。この肖像画でカール5世は、1604年のエル・パルド王宮(英語版)の火災で焼失し、現在はフアン・パントーハ・デ・ラ・クルスによる複製を通じて知られる肖像画と同じく鎧を着た姿で描かれていた[3]

来歴

1747年にマドリードの新王宮で記録されている[3]

ハンガリー王妃マリアに送られたバージョンは、1551年11月19日、のちにフェリペ2世と結婚するイングランド女王メアリー1世に肖像画を展示する際の説明書をつけて送っている。この肖像画は1554年の結婚後にマリアに返還され、その2年後に王妃はスペインに持ち帰っている[4]

ギャラリー

関連作品

脚注

  1. ^ 『西洋絵画作品名辞典』p.398。
  2. ^ a b イアン・G・ケネディー 2009年、p.69。
  3. ^ a b c d e f g h i j “Philip II”. プラド美術館公式サイト. 2023年9月2日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g “Titian”. Cavallini to Veronese. 2023年9月2日閲覧。
  5. ^ イアン・G・ケネディー 2009年、p.72。

参考文献

  • 『西洋絵画作品名辞典』黒江光彦監修、三省堂(1994年)
  • イアン・G・ケネディー『ティツィアーノ』Taschen(2009年)

外部リンク

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  • プラド美術館公式サイト, ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『フェリペ2世』
世俗画
肖像画
宗教画
  • 聖母子とパドヴァの聖アントニウス、聖ロクス』(1508年頃)
  • 『十字架を担うキリスト』(1510年頃)
  • 聖家族と羊飼い』(1510年頃)
  • 新生児の奇蹟』(1511年)
  • ジプシーの聖母』(1511年頃)
  • 『キリストの洗礼』(1511年-1512年頃)
  • 『大天使ラファエルとトビアス』(1512年-1514年頃)
  • 『ノリ・メ・タンゲレ』(1514年頃)
  • サクランボの聖母』(1515年)
  • 『貢の銭』(1516年)
  • 聖母子と聖ドロテア、聖ゲオルギウス』(1516年–1518年頃)
  • 『聖母被昇天』(1516年–1518年頃)
  • 『受胎告知(トレヴィーゾ大聖堂)』(1520年頃)
  • 『キリストの埋葬(ルーヴル美術館)』(1520年頃)
  • アヴェロルディ家の祭壇画』(1520年–1522年)
  • ペーザロ家の祭壇画』(1519年–1526年頃)
  • 聖母子と聖カテリナと羊飼い』(1530年頃)
  • 『アルドブランディーニの聖母』(1532年頃)
  • 『悔悛するマグダラのマリア(パラティーナ美術館)』(1533年頃)
  • 『受胎告知(サン・ロッコ大同信会)』(1535年頃)
  • 『聖母の神殿奉献』(1534年-1538年頃)
  • シャッラの聖母』(1540年年頃)
  • 『洗礼者聖ヨハネ』(1540年-1542年頃)
  • 『荊冠のキリスト(ルーヴル美術館)』(1542年-1543年)
  • 『この人を見よ(ウィーン)』(1543年)
  • 『悔悛するマグダラのマリア(カポディモンテ美術館)』(1550年頃)
  • 『アダムとイヴ』(1550年頃)
  • 『ラ・グロリア(聖三位一体の礼拝)』(1551年-1554年)
  • 『聖ラウレンティウスの殉教』(1548年-1559年頃)
  • 『キリストの埋葬(プラド美術館)』(1559年)
  • 『ゲツセマネの祈り』(1558年-1562年頃)
  • 『受胎告知(サン・サルバドール教会)』(1559年-1564年頃)
  • アルベルティーニの聖母』(1560年–1565年頃)
  • 『悔悛するマグダラのマリア(エルミタージュ美術館)』(1565年頃)
  • 『聖マルガリタ』(1565年頃)
  • 『祝福するキリスト』(1570年頃)
  • 『荊冠のキリスト(ミュンヘン)』(1570年頃)
  • 『聖セバスティアヌス』(1570年-1572年)
  • スペインによって救済される宗教』(1572年-1575年)
  • 『ピエタ』(1575年-1576年)
関連項目
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