我が良き友よ

曖昧さ回避 同名のコンピレーション・アルバムについては「我が良き友よ -吉田拓郎作品集-」をご覧ください。
我が良き友よ
かまやつひろしシングル
初出アルバム『あゝ、我が良き友よ
A面 我が良き友よ
B面 ゴロワーズを吸ったことがあるかい
リリース
規格 シングル・レコード
ジャンル フォーク
ロック
レーベル EXPRESS / 東芝EMI
作詞・作曲 吉田拓郎
チャート最高順位
  • 週間1位(オリコン)
  • 1975年4月度月間1位 (オリコン)
  • 1975年度年間9位 (オリコン)
かまやつひろし 年表
シンシア
1974年
我が良き友よ
1975年
水無し川
1975年
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我が良き友よ」(わがよきともよ)は、1975年2月5日にかまやつひろしが発表したシングル・レコードである。発売元は東芝EMI規格品番:ETP-20098。

解説

かまやつひろしの代表曲であり[1]、前年にシングル「シンシア」を連名で発表した吉田拓郎(当時はよしだたくろう)から提供を受け[2][3][4]、大ヒットした[1]。かまやつのキャリアでは唯一のオリコン月間・週間チャート1位獲得曲であり、1975年度オリコンシングル年間チャートで9位を記録した。シングルの累計売上は90万枚[1][5]

制作経緯

かまやつは、拓郎たちフォークシンガーの溜まり場だった原宿「ペニーレーン」や[6]六本木の飲み屋などで、拓郎とよく顔を合わせていて[2]、ヘンな色気があったわけではなく、自分とは全く違う音楽をやっている人間に興味があり、年下ながらオーラを発する拓郎に接近し[7]、意気投合した[7][8]。かまやつは「僕は30歳ぐらいまでお酒ほとんど飲めなかったんですけど、拓郎さんから出会ってからもう吐くまで飲まされて一番弟子ですね。二番弟子が井上陽水さんなんですれどね。1年ぐらい吐きまくって成長したっていうか、もう一つ教わったのは喧嘩の仕方です」などと述べている[7]。拓郎はこれを若干否定し「かまやつさんに喧嘩をさせられた」と述べている[7]

「我が良き友よ」は出来がいいと前評判が高く、拓郎の周囲の人間は、拓郎自身にレコードを吹き込ませようと強くプッシュしたが[9]、拓郎が「ムッシュにプレゼントしたい」と聞かず[9]、「ムッシュが気に入ってくれないなら返してもらうから」と話していたが[9]、かまやつも大いに気に入り[9][注 1]、拓郎の周りはガッカリした[9]

かつての人気グループサウンズザ・スパイダースの一員ながら、田辺昭知田辺エージェンシーを設立し社長として活躍。堺正章井上順はテレビで大活躍[9]大野克夫井上孝之も音楽活動で活躍中なのにかまやつは、日本の歌謡界に絶望していたといわれ[9]、何でも屋(マルチタレント)のようになり[9]、歌はまともに歌っていなかった[9]。ようやく歌う気になったかまやつにとっても正念場だった[9]。高宮昇東芝EMI社長がラジオスポットCMに出馬するほどの力の入れ方だった[9]

東芝EMIディレクターの新田和長は、この曲を聴いて「絶対にヒットする」と確信したという[10]

影響

レコーディングは拓郎とかまやつの二人でやった[9]。イントロのリードギターは高中正義によるものである[1][注 2]歌詞に出てくる蛮カラ風の大学生は吉田の広島商科大学(現広島修道大学)時代の同級生がモデルであるが[2][11]、歌のモデルは吉田と思われることも多く[7]、吉田がブティックに立ち寄った時、店員から「あれ?今日は下駄じゃないんですか?」と言われたという[7]。またかまやつは、あえて誰も思いつかないような時代にミスマッチ的な曲を書いた拓郎のヒット曲に対する拓郎の独特な感性や先見性にも改めて感心させられた[2]。当時はまだ音楽プロデューサーという職種が音楽業界では理解されていなかった[2]。また歌謡曲の世界では編曲家が重宝されていたが、フォークやロックではアレンジャーの認識はまだ低いものだった[2]。「我が良き友よ」の編曲を担当していたのは瀬尾一三だった[2]。瀬尾はここから編曲家として名を上げていき、拓郎や中島みゆき作品で重要な役割を果たして、プロデューサーとして認められていった[2]

後に吉田は『みんな大好き』(「吉田拓郎とLOVE2 ALL STARS」名義)でセルフカバーした。

B面

一方、かまやつは自身のイメージにそぐわないA面曲の代わりに、カップリング曲の「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」では思い切り好きなことをやらせてもらうことにしたという[10]。折も折、当時かまやつがファンだったタワー・オブ・パワーが来日しており、バックをやってもらえないかとダメもとで依頼したところ、快諾され共演が実現した[10]。この曲は当初から評価は高かったが、1990年代のアシッド・ジャズブームで再評価され[12]、かまやつの代表曲の一つとなった。

収録曲

  1. 我が良き友よ
  2. ゴロワーズを吸ったことがあるかい
    • 作詞・作曲:かまやつひろし 編曲:Greg Adams

カバーしたアーティスト

我が良き友よ
※このほか、レコード化はされていないが関根勤が、ジャイアント馬場水森亜土など彼のものまねレパートリーで吹き込んだ音声テープがTBSラジオコサキンDEワァオ!』内で放送された。
ゴロワーズを吸ったことがあるかい

我が良き友よ 人生は愉快じゃないか(ワニの本)

我が良き友よ 人生は愉快じゃないか
著者 かまやつひろし
発行日 1975年6月5日
発行元 KKベストセラーズ
日本
形態 エッセイ
ページ数 263ページ
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「我が良き友よ」のヒットを受けて、1975年(昭和50年)に発行されたかまやつひろしの本。

アーティスト仲間のエピソードを中心に、エッセイ話と、オリジナルの短編小説3話などが掲載されている。

帯に、井上陽水落合恵子小室等のコメントが載る。

目次

  • チャプター1 ああ、我が良き友よ
    • 9話
  • ムッシュ・メルヘンⅠ 海の好きな少年
  • チャプター2 オレの青春、キミの青春
    • 19話
  • ムッシュ・メルヘンⅡ チャンピオンを夢みた少年
  • チャプター3 おもしろい話を思い出した
    • 13話
  • ムッシュ・メルヘンⅢ もうブルースは歌えない
  • チャプター4 ステージからのメッセージ
    • 10話
  • 我がおしゃれな仲間たち
  • 我が街・我が味=味にうるさい人だけ集まれ!

登場する有名人

制作スタッフ

  • カバー・デザイン:川上成夫
  • 写真:田村仁
  • 協力:東芝EMI
  • 本文イラスト:ヒサクニヒコ下島哲朗
  • 本文写真:清水彰
  • エディトリアル・デザイン:宗村友也

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ かまやつは曲を聴いて困惑したと書かれたネット記事もあるが、リリース当時の文献には『大いに気に入った』と書かれている[9]
  2. ^ かまやつによれば、このフレーズはレコーディング時に高中が即興で弾いたものだという(出典:『ムッシュ!』文春文庫 p.145)。

出典

  1. ^ a b c d “「下駄をならして奴がくる〜♩」かまやつひろし『我が良き友よ』秘話”. 現代ビジネス. 講談社 (2020年3月29日). 2023年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月4日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h “先輩格のかまやつひろしのために吉田拓郎が書いてくれた「我が良き友よ」”. TAP the POP (2016年4月1日). 2023年10月4日閲覧。
  3. ^ 『吉田拓郎読本』音楽出版社、2008年、50、80頁頁。ISBN 978-4-86171-041-4。 
  4. ^ 永井良和『南沙織がいたころ』朝日新聞出版、2011年、135-136頁。ISBN 978-4-02-273416-7。 
  5. ^ ムッシュかまやつ『ムッシュ!』日経BP社、2002年、149頁。ISBN 4-8222-4269-2。
  6. ^ “ムッシュかまやつさん死去 Jポップ開拓 78歳 膵がんで”. 中日スポーツ (中日新聞社). (2017年3月3日). オリジナルの2017年3月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170303113740/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2017030302000167.html 2023年10月4日閲覧。 
  7. ^ a b c d e f LOVE LOVE あいしてる.157
  8. ^ 村田久夫・小島智編「かまやつひろしインタビュー」『日本のポピュラー史を語る―時代を映した51人の証言』シンコーミュージック、1999年10月14日、35-39頁。ISBN 4-401-613-40-6。 
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m 遠山一彦 (1975年1月18日). “NOW歌謡情報 『かまやつひろしの"正念場"』”. 東京タイムズ (東京タイムズ社): p. 5 
  10. ^ a b c 『ムッシュ!』148頁。
  11. ^ “ムッシュかまやつさん死去、78歳 「我が良き友よ」が大ヒット、ザ・スパイダース元メンバー”. ハフィントン・ポスト (2017年3月3日). 2017年3月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月4日閲覧。
  12. ^ 『ムッシュ!』171-172頁。

関連項目

オリコン月間シングルチャート第1位(1975年4月度)
1975年
1976年
1977年
1978年
1979年
  • 1960後
  • 1970前
  • 1970後
  • 1980前
  • 1980後
  • 1990前
  • 1990後
  • 2000前
  • 2000後
  • 2010前
  • 2010後
  • 2020前
オリコン週間シングルチャート第1位(1975年3月31日-4月21日付)
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
  • シングル:1967
  • 1968
  • 1969
  • 1970
  • 1971
  • 1972
  • 1973
  • 1974
  • 1975
  • 1976
  • 1977
  • 1978
  • 1979
  • 1980
  • 1981
  • 1982
  • 1983
  • 1984
  • 1985
  • 1986
  • 1987
  • 1988
  • 1989
  • 1990
  • 1991
  • 1992
  • 1993
  • 1994
  • 1995
  • 1996
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  • 1998
  • 1999
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  • デジタルシングル:2017・2018
  • 2019
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  • 合算シングル:2018・2019
  • 2020
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  • ストリーミング:2018・2019
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