平木理化

平木理化
Rika Hiraki
1999年
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 レバノン・ベイルート
居住地 千葉県
生年月日 (1971-12-06) 1971年12月6日(52歳)
身長 157cm
体重 45kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1987年
引退年 2003年
ツアー通算 6勝
シングルス 0勝
ダブルス 6勝
生涯通算成績 482勝503敗
シングルス 208勝252敗
ダブルス 274勝251敗
生涯獲得賞金 852,103 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 3回戦(1996-98)
全仏 1回戦(1991-94・96-98)
ウィンブルドン(英) 3回戦(1992)
全米 2回戦(1997)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 3回戦(2000)
全仏 2回戦(1996-97)
ウィンブルドン(英) 2回戦(1996・99-2001)
全米 3回戦(1993・96)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪 1回戦(1998)
全仏 優勝(1997)
ウィンブルドン(英) 3回戦(1997)
全米 1回戦(1997・98)
優勝回数 1
キャリア自己最高ランキング
シングルス 72位
ダブルス 26位
テンプレート  ■プロジェクト テニス

平木 理化(ひらき りか、1971年12月6日 - )は、日本の元女子プロテニス選手。身長157cm、体重45kg、右利き。フォアハンド・ストローク、バックハンド・ストロークとも両手打ち。自己最高ランキングはシングルス72位、ダブルス26位。

1997年全仏オープン混合ダブルス部門で日本人としてグランドスラム22年ぶり、混合ダブルス63年ぶりの優勝を果たした選手である。

来歴

日本航空勤務の父親の仕事の関係で、レバノンの首都・ベイルートに生まれる。6歳からテニスを始め、青山学院大学国際政治経済学部を卒業。高校1年生の1987年9月にツアーデビューし、大学2年生の1991年9月にプロ入り。

ジュニア時代からテニスプレーヤーとして国内外で活躍した。全国中学生大会ではシングルスで3年連続決勝に進出し、1、3年生で優勝した。中学3年生で出場した関東オープン(一般)では、史上最年少でシングルス優勝、ダブルス準優勝した。ジャパンオープン・ジュニアでは2年連続でシングルス優勝(1988年、1989年)、ダブルス準優勝(1989年)し、スーパージュニアでは日本人選手史上初の単複優勝を果たした。

大学生になりユニバーシアードでは、金2個(1993年バッファロー大会:混合ダブルス(日本人選手史上初)、1995年福岡大会:女子ダブルス(日本人選手史上初))、銀5個(1991年シェフィールド大会:女子シングルス、女子ダブルス、混合ダブルス、1993年バッファロー大会:女子ダブルス、1995年福岡大会:女子シングルス)を獲得し、計7個のメダル獲得は世界記録。

全日本選手権では、女子ダブルスで4年連続優勝(1990年から1993年)し、2000年と合わせて計5回優勝している。年末に神戸で行われていたクリスマスオープンでは、シングルスで4年連続決勝進出し、3年連続優勝(1990年から1992年)している。

平木はWTAツアーでシングルスの優勝はないが、長年にわたりダブルスの名手として活躍してきた。彼女も伊達公子遠藤愛神尾米沢松奈生子など、日本女子テニスの黄金時代を彩った名選手たちと同世代に位置している。1997年全仏オープン混合ダブルスで、平木はインドマヘシュ・ブパシとコンビを組み、6月7日の決勝でパトリック・ガルブレイス&リサ・レイモンド(ともにアメリカ)組を 6-4, 6-1 で破り、初優勝を飾った。ブパシは身長185cmの選手で、身長157cmの小柄な平木とのコンビは“凹凸ペア”とも形容された。アジア人ペアとして史上初のグランドスラム優勝で、日本人選手として初めて全仏オープンで優勝した。

日本人選手を含むペアが4大大会の混合ダブルス部門で優勝したのは、1934年ウィンブルドン選手権大会における、三木龍喜1904年 - 1966年)とドロシー・ラウンドイギリス1908年 - 1982年)組以来「63年ぶり」の快挙であった。日本女子テニスの第一人者だった伊達公子1996年11月に現役引退した直後の出来事でもあり、平木とブパシの偉業は大きな反響を呼んだ。(その前月、1997年5月にドイツベルリンで行われた「ドイツ・オープン」のダブルス1回戦で、平木はフロレンシア・ラバト(アルゼンチン)と組み、シュテフィ・グラフイネス・ゴロチャテギアルゼンチン)の組に勝っていた。)

4大大会のシングルスでは平木の好成績は比較的少ないが、1992年ウィンブルドンと、全豪オープン1996年 - 1998年の3年連続で3回戦に進出している。1992年ウィンブルドンでは予選3試合を勝ち上がり、本戦3回戦でセンターコートに入り、第3シードのガブリエラ・サバティーニに挑戦した。全豪オープンでは3年連続の3回戦に進んだが、とりわけ1997年の大会では、伊達公子を失った日本女子テニス界が直ちに衰退を始めた中にあって、平木1人の3回戦進出が日本人女子選手の最高成績であった。

平木の最後の試合出場は、2003年2月のアメリカオハイオ州コロンバス大会であった。現在は会社勤務をしながら日本各地でのテニスイベントなどでの普及活動を行っている。

平木は選手として活躍する傍ら、アジア人初のWTAツアー選手理事(1996年-1998年)に選出され、WTAツアー選手委員(1996年-2003年)、WTAツアードーピング委員(1990年-2003年)としても活躍した。各種スポーツ賞の受賞歴も多く、日本プロスポーツ大賞特別奨励賞(1997年)、1997年日本スポーツ賞・優秀選手、1997年度ユネスコ日本フェアプレー賞、WTAアワード「スポーツマンシップ賞」にノミネート(1997年・1998年)、USTA(全米テニス協会)スポーツマンシップ賞(2000年)、日本テニス協会・特別栄誉賞受賞(1998年)、栄誉賞(2003年)などを受賞している。

2014年6月より日本テニス協会の常務理事に就任[1]。2021年現在、千葉県白井市に在住し、NTTコミュニケーションズで経営企画部広報室担当課長として勤務[2]

脚注

  1. ^ 朝日新聞 2014年6月12日朝刊14版 24面
  2. ^ “しろいふるさと大使を紹介します”. 白井市 (2021年7月9日). 2022年6月6日閲覧。

外部リンク

1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 20 開催無し
  • 21 デシラエ・クラウチェク&ジョー・ソールズベリー
  • 22 ウェスリー・クールホフ&柴原瑛菜
  • 23 ティム・プッツ&加藤未唯
全仏テニス選手権(1925–1967)混複 || 男単 | 女単 | 男複 | 女複
20・30年代
  • (1924年)鴨井一枝&小林春子
  • (1925年・26年)羽山住江&安宅登美子
  • (1927年・28年)滝口澪子&飯村敏子
  • (1929年)朝吹磯子&小林知子
  • (1930年)戸田定代&増田登志江
  • (1931年)滝口澪子&小林知子
  • (1932年)中村千賀&棚橋糸子
  • (1933年)立花文子&林美喜子
  • (1934年・35年)岡田早苗&山岸久子
  • (1936年)佐々倉久美&原田美智子
  • (1937年)戸田定代&マリー・ホーン
  • (1938年)大浦直子&原久子
  • (1939年)木全豊子&沢田佳
40・50年代
60・70年代
  • (1960年-62年)宮城黎子&福井昭子
  • (1963年)小幡陽子&空野桂子
  • (1964年)ヘルガ・シュルツェ&マーゴット・シュルツェ
  • (1965年)太田智恵子&風呂本操
  • (1966年・67年)小幡陽子&後神澄江
  • (1968年)畠中君代&飯田藍
  • (1969年)畠中君代&村上智佳子
  • (1970年)キャスリーン・ハーター&エヴァ・ルンドクイスト
  • (1971年・72年)畠中君代&村上智佳子
  • (1973年)沢松和子&福岡加余子
  • (1974年)飯田藍&野村貴洋子
  • (1975年)楊正順&雀景美
  • (1976年)佐藤直子&中川清美
  • (1977年)塚本国代&中川清美
  • (1978年)畠中君代&米沢そのえ
  • (1979年)塚本国代&中川清美
80・90年代
00・10年代
男単 •女単 | 男複 • 混複
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 20-21 中止、22以降 無し
1999年までは特別奨励賞、2000-2002年と星野,内山,福原,阿部は特別功労賞