偽ドミトリー3世

偽ドミトリー3世(にせドミトリーさんせい)(Лжедмитрий III; False Dimitri III, ? – 1612年)は、動乱時代ロシアツァーリ僭称者。イヴァン4世の末子ドミトリー皇子を名乗った3人のうち、最も動向の不明な人物[1]

生涯

ブリタニカ百科事典第11版』によれば、シドルカという名の助祭だった[1]ナルヴァ川以西から突然現れ、イングリア地方のイヴァンゴロドで1611年3月28日に皇子ドミトリーであると宣言した[1]。翌1612年3月2日、モスクワ近郊を荒らしていたコサックによってツァーリに推戴され、コサックの報復をおそれたプスコフの指導層が彼を迎えて忠誠を誓ったため、「プスコフの悪党」と呼ばれた[1]。しかし同年5月18日プスコフを脱出、逮捕されてモスクワ当局に引き渡され、処刑された[1]

出典

  1. ^ a b c d e Bain, Robert Nisbet (1911). "Demetrius, Pseudo-" . In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 7 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 983–984.

関連項目

ロシア国旗 ロシアの君主 ロシア帝国の小紋章
ウラジーミル・
スーズダリ大公
モスクワ大公
ツァーリ
リューリク朝
動乱時代
ロマノフ朝
インペラートル
ロマノフ朝
  • ピョートル1世1721–1725
  • エカチェリーナ1世1725–1727
  • ピョートル2世1727–1730
  • アンナ1730–1740
  • イヴァン6世1740–1741
  • エリザヴェータ1741–1762
ホルシュタイン=ゴットルプ=
ロマノフ朝
  • ピョートル3世1762
  • エカチェリーナ2世1762–1796
  • パーヴェル1世1796–1801
  • アレクサンドル1世1801–1825
  • ニコライ1世1825–1855
  • アレクサンドル2世1855–1881
  • アレクサンドル3世1881–1894
  • ニコライ2世1894–1917
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