リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔

世界遺産 リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔
ポルトガル
ベレンの塔
ベレンの塔
英名 Monastery of the Hieronymites and Tower of Belém in Lisbon
仏名 Monastère des Hiéronymites et tour de Belém à Lisbonne
面積 2.66 ha (緩衝地域 103 ha)
登録区分 文化遺産
登録基準 (3), (6)
登録年 1983年
備考 2008年に緩衝地域の軽微な変更
公式サイト 世界遺産センター(英語)
使用方法・表示

リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔(リスボンのジェロニモスしゅうどういんとベレンのとう)はUNESCO世界遺産リスト登録物件の一つであり、その名称が示すように、ポルトガルの首都リスボンベレン地区にあるジェロニモス修道院ベレンの塔を対象としている。それらは、16世紀ポルトガルで栄えたマヌエル様式の代表的傑作に数えられているだけでなく、かつての大航海時代ポルトガル海上帝国の栄華の記憶をとどめる文化遺産であることが評価され、最初のポルトガルの世界遺産の一つとなった。

構成資産

ジェロニモス修道院ベレンの塔が対象である。それらの壮麗さは、大航海時代に貿易による巨富を手にしたポルトガルの繁栄ぶりを伝えている。なお、付近の発見のモニュメント(1960年)は世界遺産関連文献で一緒に触れられることがしばしばあるものの[1][2]、世界遺産登録対象ではない。それはインペリオ広場、ベレン文化センターなどとともに、緩衝地域に含まれている[3]

ジェロニモス修道院

ジェロニモス修道院外観
回廊のマヌエル様式装飾
詳細は「ジェロニモス修道院」を参照

ジェロニモス修道院(Monastery of the Hieronymites, 世界遺産ID263bis-001)の世界遺産登録面積は2.57 ha、緩衝地域 51.5 ha である[4]

聖ヒエロニムスにあやかったヒエロニムス会(英語版)の修道院で、現在につながる本格的な建設はディオゴ・ボイタク(英語版)が指揮をした1502年以降のことである[5][注釈 1]。ボイタクに建設を命じたのはポルトガル王マヌエル1世で、その目的にはエンリケ航海王子の業績を称揚する意図などが込められていた[6][7]。ボイタクが指揮を執ったのは1516年までで[5]、それを引き継いだのはジョアン・デ・カスティーリョ(英語版)である[1]。カスティーリョは1551年に没したが[5]、その年にジェロニモス修道院の建築は主要部分の完成を見た[8][7]。その後も増築などが行われ、19世紀にようやく現存する形に落ち着いた[7]

「ポルトガルが誇るマヌエル様式建築の最高傑作」[9]と評されることもあるジェロニモス修道院の中でも、特に繊細な彫刻に飾られた回廊や、彫像で飾られた南門柱廊を備えた修道院付属のサンタ・マリア聖堂などの評価が高い[10][2]

以前に王家の霊廟だったのはバターリャ修道院だが、ジェロニモス修道院が出来てからはそちらが王家の霊廟となった[6][2]。この結果、マヌエル1世もジェロニモス修道院に葬られている[6][2]。著名な人士ではほかにヴァスコ・ダ・ガマ、詩人ルイス・デ・カモンイス、作家フェルナンド・ペッソアらの棺も、この修道院に安置されている[6]

ベレンの塔

角の見張り塔
詳細は「ベレンの塔」を参照

ベレンの塔(Tower of Belem, 世界遺産ID263bis-002)の世界遺産登録面積は 0.09 ha、緩衝地域は 51.5 ha である[4]

正式名は「サン・ヴィセンテの塔」、建造は1515年から1521年にかけてのことで、指揮したのはフランシスコ・デ・アルダ(ポルトガル語版)であった[11]。ジェロニモス修道院と同じく、建設を命じたのはマヌエル1世である[11]ヴァスコ・ダ・ガマの業績をたたえる目的をこめた灯台だが、テージョ川河口を見張る要塞としての機能も備えていた[12]。当時のリスボンでは、英国やオランダの海賊に対する備えが必要だったのである[13]

1755年のリスボン大地震では多くの建物が被災したが、ジェロニモス修道院とベレンの塔があるベレン地区は難を逃れ、さして損壊を被らなかった[6][14]。ただし、その地震で川の流れが変わったことで、ベレンの塔は中洲から川岸へと、位置関係を変えた[13]

航海に関する事物をモチーフとした装飾があしらわれたマヌエル様式建築の傑作のひとつで、作家司馬遼太郎はその優雅さを「テージョ川の貴婦人」と評した[15]

登録経緯

リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔の位置(ポルトガル内)
リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔
世界遺産登録位置

ポルトガルの世界遺産条約締約は1980年9月30日のことであった[16]。この物件は1982年12月20日に推薦され、世界文化遺産の諮問機関である国際記念物遺跡会議 (ICOMOS) も「登録」を勧告した[5]。そして、1983年の第7回世界遺産委員会で、アゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモの中心地区バターリャ修道院トマールのキリスト教修道院とともに、ポルトガル初の世界遺産として登録された。

世界遺産としての正式登録名は、Monastery of the Hieronymites and Tower of Belém in Lisbon (英語)、Monastère des Hiéronymites et tour de Belém à Lisbonne (フランス語)である。その日本語訳は「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔」とされるのが普通である[17][18][7][19]

2008年の第32回世界遺産委員会では、ベレンの塔の緩衝地域設定に関して「軽微な変更」(範囲の拡大)が行われた[20]。これは、従来の保護区域の設定では、ジェロニモス修道院周辺とベレンの塔周辺の景観保護が一体的に行われていなかったことに対応するものであるが、変更を承認する勧告を出したICOMOSは、まだ緩衝地域に拡大の余地があるという見解を示していた[21]。その見解は世界遺産委員会の決議でも踏襲された[20]

登録基準

発見のモニュメント(1960年)。世界遺産登録理由は大航海時代と密接に結びついているが、上述の通り、発見のモニュメント自体は世界遺産登録対象ではない。

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。

ICOMOSの勧告では、結論部分で「その最盛期にあったアヴィス王朝によって作り上げられたベレン(地区)の建造物群は、大航海時代のポルトガルの権勢を最もよく表しているものの一つである。ベレンは消えた文明の傑出した例証を備えており(基準 (3) に該当)、顕著な普遍的意義を持つ諸事件と直接的かつ明白に結びついている(基準 (6) に該当)」[22]と説明していた。

観光

ベレン地区はジェロニモス修道院とベレンの塔のほかにも、博物館などを多く擁する観光名所である[23][24]。2004年にジェロニモス修道院とベレンの塔を訪れた観光客は70万人以上にのぼったと見積もられている[25]

脚注

注釈

  1. ^ ICOMOSの勧告書では1983年の登録時も、2008年の「軽微な変更」時も、1502年着工としている。しかし、フィオナ・ダンロップ 2006、p.62 のように1501年着工とするものもある。

出典

  1. ^ a b ユネスコ世界遺産センター 1996, p. 26
  2. ^ a b c d 川添 & 山田 1996, p. 114
  3. ^ ICOMOS 2008、f.92
  4. ^ a b “Monastery of the Hieronymites and Tower of Belém in Lisbon (Multiple Locations)”. 2014年4月1日閲覧。
  5. ^ a b c d ICOMOS 1983, p. 1
  6. ^ a b c d e ユネスコ世界遺産センター 1996, p. 28
  7. ^ a b c d 世界遺産検定事務局 2012, p. 150
  8. ^ 水村 2002, p. 62
  9. ^ フィオナ・ダンロップ 2006, p. 63
  10. ^ ユネスコ世界遺産センター 1996, pp. 27–28
  11. ^ a b 川添 & 山田 1996, p. 115
  12. ^ ユネスコ世界遺産センター 1996, p. 27
  13. ^ a b フィオナ・ダンロップ 2006, p. 66
  14. ^ 川添 & 山田 1996, p. 112
  15. ^ 地球の歩き方編集室 2013, p. 89
  16. ^ “Portugal - World Heritage Centre”. 2014年3月30日閲覧。
  17. ^ ユネスコ世界遺産センター 1996, pp. 24–29
  18. ^ 日本ユネスコ協会連盟『世界遺産年報2014』朝日新聞出版、2014年。 
  19. ^ 古田 & 古田 2011, p. 139
  20. ^ a b World Heritage Centre 2009, p. 198
  21. ^ ICOMOS 2008, p. 91
  22. ^ ICOMOS 1983、p.2 から翻訳の上で引用。
  23. ^ 地球の歩き方編集室 2013, p. 84
  24. ^ フィオナ・ダンロップ 2006, p. 62
  25. ^ World Heritage Centre 2006, p. 3

参考文献

  • ICOMOS (1983), The Monastery of the Hieronymites (Advisory Body Evaluation), http://whc.unesco.org/archive/advisory_body_evaluation/263bis.pdf 
  • ICOMOS (2008), EVALUATIONS OF CULTURAL PROPERTIES (WHC-08/32.COM/INF.8B1.Add), https://whc.unesco.org/archive/2008/whc08-32com-inf8B1ADDe.pdf 
  • World Heritage Centre (2006), State of Conservation of World Heritage Properties in Europe (Section II) Monastery of the Hieronymites and Tower of Belém in Lisbon, http://whc.unesco.org/archive/periodicreporting/EUR/cycle01/section2/263-summary.pdf 
  • World Heritage Centre (2009), Decisions Adopted at the 32nd Session of the World Heritage Committee (Quebec City, 2008)(WHC-08/32.COM/24Rev), https://whc.unesco.org/archive/2008/whc08-32com-24reve.pdf 
  • 川添智利; 山田幸正『世界遺産を旅する (2) スペイン・ポルトガル・モロッコ・チュニジア』近畿日本ツーリスト、1997年。 
  • 世界遺産検定事務局『すべてがわかる世界遺産大事典〈下〉』マイナビ、2012年。 
  • フィオナ・ダンロップ 著、小笠原景子ほか7名 訳『ナショナルジオグラフィック海外旅行ガイド ポルトガル編』日経ナショナルジオグラフィック社、2006年。 
  • 地球の歩き方編集室『地球の歩き方 A23 ポルトガル 2013 ~ 2014年版』ダイヤモンド・ビッグ社、2013年。 
  • 古田陽久; 古田真美『世界遺産事典 - 2012改訂版』シンクタンクせとうち総合研究機構、2011年。 
  • 水村光男『オールカラー完全版 世界遺産 第2巻』講談社講談社+α文庫〉、2002年。 
  • ユネスコ世界遺産センター『ユネスコ世界遺産 (10) 南ヨーロッパ』講談社、1996年。 

関連項目

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自然遺産
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