ヤイ・ボニ

トマ・ヤイ・ボニ
Thomas Yayi Boni

トマ・ヤイ・ボニ(2012年3月)

任期 2006年4月6日2016年4月6日
首相 パスカル・クーパキ(英語版)
(2011年 - 2013年)
リオネル・ザンス(英語版)
(2015年 - 2016年)

アフリカ連合
第10代 総会議長
任期 2012年1月29日2013年1月27日

出生 (1952-07-01) 1952年7月1日(71歳)
フランスの旗 フランス領ダホメチャウールー
政党 無所属
出身校 国立ベナン大学
シェイク・アンタ・ジョップ大学
オルレアン大学
パリ・ドーフィネ大学(英語版)
配偶者 シャンタル・ボニ
子女 5人
宗教 福音主義 (元はイスラム教

トマ・ヤイ・ボニフランス語: Thomas Yayi Boni1952年7月1日 - )は、ベナン銀行家、政治家同国大統領(第4代)、アフリカ連合総会議長(第10代)を務めた。ヤイが姓であり、日本外務省ボニ・ヤイ(トーマ・ボニ・ヤイ[1]、トマ=ボニ・ヤイ[2])と表記している。

経歴

1952年7月、フランス領ダホメチャウールー(現在のボルグー県)で生まれる。ボルグーから大きく南下したリトラル県コトヌーにある国立ベナン大学(英語版)に進学して経済学を学び、ダカールシェイク・アンタ・ジョップ大学で経済学修士号を取得した。その後フランスに渡ってオルレアン大学に通い経済学・政治学博士号を取得し、銀行員として働く。1976年にはパリ・ドーフィネ大学(英語版)経済学博士号を取得した。

ベナンに戻ったヤイは、1980年から1988年までベナン金融銀行(英語版)で副局長として働いた。1994年には実績が評価され、ダカールに本拠を置く西アフリカ諸国中央銀行の社長となった。2006年3月15日に開かれた大統領選挙では当選が危ぶまれたが、3月19日の決選投票では対立候補のアドリアン・ウンベジ(英語版)を破り、同年4月6日にベナン共和国第4代大統領(ベナン15代大統領)に就任した。

2007年3月15日、町の議員集会が終了して政府庁舎に戻る際、ヤイに反感を抱く反政府勢力が道路を封鎖して待ち伏せした。ヤイが別車両に乗り移ろうとした際、側近が反政府勢力の人間と揉み合いになり、負傷するという事件が起こった。

2013年2月27日に訪日。3月2日にはTBSテレビ系番組「情報7days ニュースキャスター」に駐日ベナン大使ゾマホン・ルフィンと共に生出演し、ベナン共和国を支援している日本国民と北野武に感謝の気持ちを伝えた。

2016年4月6日、10年と9日間の在任を終えて大統領職を退いた。後任には無所属のパトリス・タロンが就任した。

2021年9月、親密な敵となった政党連合であるタロンとヤイがコトヌーのマリーナ宮殿で会った。 このtête-à-têteの間に、ヤイは特に「政治的被拘禁者」の釈放に関連する一連の提案と要求をタロンに提示した。

脚注

  1. ^ “ベナン共和国大統領選挙について”. 外務省 (2011年4月5日). 2015年2月21日閲覧。
  2. ^ “日・ベナン首脳会談”. 外務省 (2013年6月1日). 2015年2月21日閲覧。

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ヤイ・ボニに関連するカテゴリがあります。
  • Bienvenue sur le site du Président Boni Yayi - boniyayi.bj(フランス語) - 公式サイト。
公職
先代
マチュー・ケレク
ベナンの旗 ベナン共和国大統領
第4代:2006年 - 2016年
次代
パトリス・タロン
外交職
先代
テオドロ・オビアン・ンゲマ
アフリカ連合総会議長
第10代:2012年 - 2013年
次代
ハイレマリアム・デサレン
アフリカ統一機構(OUA)・アフリカ連合(AU)の総会議長
アフリカ統一機構
(1963 - 2002)

アフリカ連合
(2002 - )
1 代行。
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