モーリッツ・フォン・ヘッセン

曖昧さ回避 この項目では、フィンランド国王カールレ1世の孫のヘッセン家当主について説明しています。本項人物の孫については「モーリッツ・フォン・ヘッセン (2007-)」をご覧ください。
モーリッツ
Moritz
ヘッセン家家長
モーリッツ・フォン・ヘッセン(2010年11月)
在位 1980年 - 2013年

全名
一覧参照
  • Moritz Friedrich Karl Emanuel Humbert
    モーリッツ・フリードリヒ・カール・エマヌエル・フンベルト
出生 (1926-08-06) 1926年8月6日
イタリア王国の旗 イタリア王国ピエモンテ州ラッコニージ、ラッコニージ城
死去 (2013-05-23) 2013年5月23日(86歳没)
ドイツの旗 ドイツヘッセン州フランクフルト・アム・マイン
埋葬 ドイツの旗 ドイツヘッセン州クロンベルク・イム・タウヌス、クロンベルク城
配偶者 タティアナ
子女
一覧参照
家名 ヘッセン家ヘッセン=ルンペンハイム家
父親 フィリップ
母親 マファルダ
宗教 キリスト教ルーテル教会
テンプレートを表示

モーリッツ・ラントグラーフ・フォン・ヘッセンドイツ語: Moritz Landgraf von Hessen, 1926年8月6日 - 2013年5月23日)は、ヘッセン家の当主。イタリア語名はマウリツィオ・ダッシア (Maurizio d'Assia)。

ウィキメディア・コモンズには、モーリッツ・フォン・ヘッセンに関連するカテゴリがあります。

生涯

母マファルダとモーリッツ、弟のハインリヒ(1930年代)

1926年、フィリップ・フォン・ヘッセンの長男としてイタリアラッコニージ城(英語版)に生まれた。第二次世界大戦中、父フィリップはゲシュタポに逮捕され、母マファルダブーヘンヴァルト強制収容所へ拘留・収監され、まもなく死亡した。

後継者のいなかったヘッセン=ダルムシュタット家の当主ルートヴィヒとの養子縁組に基づき、1961年にヘッセン・ウント・バイ・ライン大公の爵位請求権を相続した[1]

ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯家家長グスタフ・アルブレヒトの次女タティアナ(英語版)と結婚した。結婚式は1964年夏、ギーセンにおいて執り行われたが、1974年に離婚した。1980年10月25日、父フィリップの死に伴いヘッセン=カッセル方伯家の当主となり、合わせて両ヘッセン家の当主となった。

2005年9月に放送された日本のテレビ番組「開運!なんでも鑑定団」において、鑑定士中島誠之助・阿藤芳樹、タレント住田隆がモーリッツの屋敷を訪れ、所有している骨董品を鑑定するという企画が行われた。このうち初期柿右衛門様式の壺には5億円という番組史上最高額(放送当時)の鑑定額が付けられた[2]

子女

タティアナ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン=ベルレブルクとの間に2男2女を儲けた。

  • マファルダ・マルガレーテ(1965年7月6日 - ) - 1989年、エンリコ・マローネ・チンザノ(英語版)と結婚。子はなし。1991年にカルロ・ガルドと再婚し、2女を儲けた。2000年にフェルディナンド・ブラチェッティ・ペレッティ(英語版)と再々婚し、2男を儲けた。
  • ハインリヒ・ドナトゥス・フィリップ・ウンベルト1966年10月17日 - ) - 2003年にフローリア・フォン・ファーバー=カステルと結婚。
  • エレーナ・エリーザベト・マデレーネ(1967年11月8日 - ) - マッシモ・チァッゾ(1976年 - )との間に、一人娘のマデレーネ(1999年 - )を儲けた。
  • フィリップ・ロビン(スウェーデン語版)1970年9月17日 - ) - レテッシア・ベヒトルフと結婚し、エレナ(2006年 - )、ティト(2008年 - )とマファルダ(2014年 - )を儲けた。叔父ハインリヒ(英語版)からフィンランド王国の王位請求権を相続。

脚注

  1. ^ “Hesse-Kassel Royal Family”. 2012年7月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月24日閲覧。(英語)
  2. ^ テレビ東京広報資料
先代
ルートヴィヒ
ヘッセン大公家家長
1968年 - 2013年
次代
ハインリヒ・ドナトゥス
先代
フィリップ
ヘッセン=カッセル方伯家
家長

1980年 - 2013年
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • VIAF
  • WorldCat
国立図書館
  • ドイツ
人物
  • ドイッチェ・ビオグラフィー