ジャン=ピエール・ドラッカー
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基本情報 | ||||
本名 | Jean-Pierre Drucker | |||
愛称 | Jempy | |||
生年月日 | (1986-09-03) 1986年9月3日(37歳) | |||
国籍 | ルクセンブルク | |||
身長 | 182cm | |||
体重 | 75kg | |||
選手情報 | ||||
所属 | ボーラ・ハンスグローエ | |||
分野 | ロード、シクロクロス | |||
役割 | 選手 | |||
特徴 | スプリンター、クラシックスペシャリスト | |||
プロ経歴 | ||||
2004-2008 2009–2010 2011–2014 2015–2018 2019- | フィデア・サイクリング・チーム チーム・ディフェルダンジュ ワンティ・グループゴベール BMC・レーシング ボーラ・ハンスグローエ | |||
主要レース勝利 | ||||
ルクセンブルク選手権 シクロクロス(2008-2011) 個人タイムトライアル(2017) ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間通算1勝 | ||||
最終更新日 2019年1月8日 |
ジャン=ピエール・ドラッカー(Jean-Pierre "Jempy" Drucker、1986年9月3日 - )は、ルクセンブルク、サンドワイウレ(英語版)出身の自転車競技(ロードレース)選手。元はシクロクロスの選手。ドリュケールとも表記される[1]。
経歴
ジュニア時代からシクロクロスの国内レースで優勝を重ねる。
2004年、フィデア ・サイクリングチームにてキャリアを積む。
2008年、ルクセンブルク代表として世界選手権ロードレースへ出場するが、リタイアに終わる。
2009年、チーム・ディフェルダンジュへ移籍。
2011年、ワンティ・グループゴベールへ移籍し、本格的にロードレースのキャリアをスタートする。
2015年、BMC・レーシングチームへ移籍。遅咲きのエーススプリンターはライドロンドン=サリー・クラシック(英語版)にてワンデーレース初優勝を挙げた[2]。
2016年ブエルタ・ア・エスパーニャ第16ステージにて集団スプリントを制し、ワールドツアー及びグランツール初勝利を挙げた[3]。
2019年、ボーラ・ハンスグローエに移籍。
主な戦績
2001年
- ルクセンブルク選手権デビュー 優勝(シクロクロス)
2002年
- ルクセンブルク選手権デビュー 優勝(シクロクロス)
2003年
- ルクセンブルク選手権ジュニア 優勝(シクロクロス)
2004年
- ルクセンブルク選手権ジュニア 優勝(シクロクロス)
2005年
- ルクセンブルク選手権U23 優勝(シクロクロス)
2006年
- ルクセンブルク選手権U23 優勝(シクロクロス)
2007年
- ルクセンブルク選手権U23 優勝(シクロクロス)
2008年
2009年
- ルクセンブルク選手権 優勝(シクロクロス)
2010年
- フレッシュ・デュ・スュド(英語版) 区間優勝(第1ステージ)
- フロット・プライス・スタット・ゾテヘム 2位
- ルクセンブルク選手権 優勝(シクロクロス)
2011年
- ルクセンブルク選手権 優勝(シクロクロス)
2012年
- フロット・プライス・スタット・ゾテヘム 2位
- スハール・セルス 3位
2013年
- ルクセンブルク選手権 3位(ロードレース)
- グランプリ・ディスベルグ 3位
2014年
- ツール・ド・ルクセンブルク 総合2位
2015年
- ルクセンブルク選手権 2位(個人タイムトライアル)
- ライドロンドン=サリー・クラシック(英語版) 優勝
- ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間優勝(第1ステージ・チームタイムトライアル)
2016年
- ティレーノ〜アドリアティコ 区間優勝(第1ステージ・チームタイムトライアル)
- ツール・ド・ルクセンブルク 区間優勝(第1ステージ)
- ルクセンブルク選手権 2位(個人タイムトライアル)
- ブエルタ・ア・エスパーニャ 区間優勝(第16ステージ)
2017年
- ツール・ド・ルクセンブルク 区間優勝(第1ステージ)
- ルクセンブルク選手権 優勝(個人タイムトライアル)
- ツール・ド・ワロニー 区間優勝(第4ステージ)
脚注
参考文献
- ジャン=ピエール・ドラッカー - サイクリングアーカイヴス(英語)
ジャン=ピエール・ドラッカーのプロフィール - ProCyclingStats
2019年 ボーラ・ハンスグローエ 陣容 | |||||||
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