ジェフリー・ハウ

ジェフリー・ハウ
Geoffrey Howe
2011年10月17日
生年月日 1926年12月20日
出生地 イギリスの旗 イギリス
ウェールズ グラモーガン(英語版) ポート・タルボット(英語版)
没年月日 (2015-10-09) 2015年10月9日(88歳没)
死没地 イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランド
ウォリックシャー アイドリコート(英語版)
出身校 ケンブリッジ大学トリニティ・ホール(英語版)
前職 法廷弁護士
所属政党 保守党
称号 ハウ男爵
コンパニオン・オブ・オナー勲章(CH)
枢密顧問官(PC)
勅選弁護士(英語版)
配偶者 エルスペス・シャンド(英語版)
子女 3人

内閣 第3次マーガレット・サッチャー内閣
在任期間 1989年7月24日 - 1990年11月1日
首相 マーガレット・サッチャー

内閣 第2次マーガレット・サッチャー内閣
在任期間 1983年6月11日 - 1989年7月24日
首相 マーガレット・サッチャー

イギリスの旗 イギリス
第63代財務大臣
内閣 第1次マーガレット・サッチャー内閣
在任期間 1979年5月4日 - 1983年6月11日
首相 マーガレット・サッチャー

イギリスの旗 イギリス
貴族院議員
在任期間 1992年6月30日 - 2015年10月9日
首相 ジョン・メージャー
トニー・ブレア
ゴードン・ブラウン
デーヴィッド・キャメロン

イギリスの旗 イギリス
庶民院議員
選挙区 ベビントン選挙区(英語版)
ライギット選挙区(英語版)
東サリー選挙区(英語版)
在任期間 1964年10月15日 - 1966年3月31日
1970年6月18日 - 1974年2月28日
1974年2月28日 - 1992年4月9日
首相 アレック・ダグラス=ヒューム
ハロルド・ウィルソン
エドワード・ヒース
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アベラヴォンのハウ男爵リチャード・エドワード・ジェフリー・ハウ英語Richard Edward Geoffrey Howe, Baron Howe of Aberavon, CH PC QC1926年12月20日 - 2015年10月9日)は、イギリス政治家一代貴族。保守党に所属し、マーガレット・サッチャー内閣で閣僚職を歴任した。1992年に一代貴族アベラヴォンのハウ男爵に叙された。妻のエルスペス・シャンド(英語版)は、イギリス国王チャールズ3世の妃カミラの父ブルース・シャンドの異母妹にあたる。

経歴

前半生

1926年12月20日ウェールズグラモーガン(英語版)ポート・タルボット(英語版)事務弁護士であるベンジャミン・エドワード・ハウの息子として誕生する[1]

ウィンチェスター・カレッジを経てケンブリッジ大学トリニティ・ホール(英語版)へ進学。1952年ミドル・テンプルで学び、法廷弁護士資格を取得した[1][2]1957年から1960年にかけてはボウ・グループ(英語版)の会長となり、雑誌『クロスボウ(Crossbow )』を経営した[1][2]

政界へ

1955年1959年の総選挙ではアベラヴォン選挙区(英語版)の保守党候補に擁立されたが、落選した[1]1964年の総選挙でベビントン選挙区(英語版)から初当選し、保守党所属の庶民院議員となった[1][2]。しかし1966年の総選挙では労働党候補に敗れて議席を失い、法廷弁護士の仕事に戻った[1]

1970年の総選挙でライギット選挙区(英語版)から選出されて再び庶民院議員となり、エドワード・ヒース内閣下で法務次官(英語版)に就任した[1]。1972年からは通商工業省(英語版)の閣外大臣に転じた[1][2]。1974年2月の総選挙から東サリー選挙区(英語版)から選出されて庶民院議員を務めるようになった(以降1992年に一代貴族に叙されるまでこの選挙区から選出され続ける)[2]

1975年保守党党首選挙(英語版)の二次投票に出馬してマーガレット・サッチャーらと争ったが、敗れている[1][3]

サッチャー内閣

1979年にサッチャー内閣が誕生すると財務大臣に就任した。ハウはサッチャリズムの熱心な信奉者として知られ[4]、大蔵省副大臣(金融担当大臣)ナイジェル・ローソンの起草からなる中期金融財政戦略(MTFS)を採用した。これはインフレの抑制を最重要目標とし、経済管理にマネタリストのアプローチを用いようという物であった[5]。インフレの抑制の他、歳出削減による財政赤字縮小、間接税への移行、為替管理廃止、非課税企業地域の創設、民営化などを推進した[1][6]

1983年には外務・英連邦大臣に転任。アメリカ国務長官ジョージ・シュルツと緊密な関係を築き、サッチャーとアメリカ大統領ロナルド・レーガンの結束を支えた[1]

欧州共同体(EC)との関係改善にも努め、1985年にはサッチャーを説き伏せて単一欧州議定書に署名させた[7]。さらに1989年には欧州為替相場メカニズム(ERM)への加入をサッチャーに進言したが、サッチャーが慎重姿勢を崩さなかったため、マドリードでのEC首脳会談の前に財務大臣ナイジェル・ローソンとともに辞職をちらつかせる強硬な進言を行った。サッチャーは二人を慰留したものの[7]、マドリードでの首脳会議でサッチャーと諍いを起こしたことが原因で[8]、同年7月の内閣改造でハウは外相から外された。代わりに副首相庶民院院内総務・枢密院議長のポストが与えられたが、これは左遷も同じだった[9]

なおもハウはヨーロッパ統合問題での落としどころを探っていたが、サッチャーのいかなる欧州統合も拒否する姿勢にうんざりし、1990年11月1日に辞任を表明した。11月13日の辞任演説では「最初の球が投げられる時、打席に割って入ろうとして分かったことは、チームのキャプテンによって試合前に、バットがことごとく破壊されていたことだった」と述べてサッチャーを批判する演説を行った[10]

晩年

辞職直後の1990年11月末に行われた保守党党首選挙(英語版)では、サッチャーとの対決姿勢を強めるマイケル・ヘーゼルタインから支持を求められたが、彼との共同行動は拒否した[11]

1992年6月30日一代貴族爵位アベラヴォンのハウ男爵(Baron Howe of Aberavon)に叙せられ、貴族院議員に列した[2]

1994年には回顧録『忠誠の葛藤(Conflict of Loyalty)』を著した[1]

2010年の総選挙を前に経済問題アドバイザーとしてジョージ・オズボーンに召集された4人の元財務大臣の一人であり、2010年からのキャメロン政権でも経済について政府に助言を行った[1]

2015年5月に貴族院議員を休職し[1]、同年10月9日に死去した[1]

栄典

爵位

1992年6月30日に以下の爵位を新規に叙せられた[2]

  • サリー州におけるタンドリッジのアベラヴォンのハウ男爵 (Baron Howe of Aberavon, of Tandridge in the County of Surrey)
    (勅許状による一代貴族爵位)

勲章

脚注

[脚注の使い方]

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o John Barnes (2015年10月11日). “Geoffrey Howe: One of the architects of the Thatcher revolution who became one of the primary factors in her downfall”. インデペンデント. https://www.independent.co.uk/news/obituaries/geoffrey-howe-one-of-the-architects-of-the-thatcher-revolution-who-became-one-of-the-primary-factors-a6689811.html 2018年4月14日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h Lundy, Darryl. “Richard Edward Geoffrey Howe, Baron Howe of Aberavon” (英語). thepeerage.com. 2018年4月13日閲覧。
  3. ^ 小川晃一 2005, p. 47.
  4. ^ クラーク 2004, p. 357.
  5. ^ クラーク 2004, p. 359.
  6. ^ クラーク 2004, p. 359-361.
  7. ^ a b クラーク 2004, p. 386.
  8. ^ 小川晃一 2005, p. 250.
  9. ^ 梅川正美, 力久昌幸 & 阪野智一 2010, p. 184.
  10. ^ 梅川正美, 力久昌幸 & 阪野智一 2010, p. 184-185.
  11. ^ 小川晃一 2005, p. 253.

参考文献

外部リンク

英語版ウィキクォートに本記事に関連した引用句集があります。
Geoffrey Howe
  • ジェフリー・ハウ - C-SPAN(英語)
  • Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Geoffrey Howe(英語)
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会
先代
ヘンドリー・オークショット(英語版)
ベビントン選挙区(英語版)
選出庶民院議員

1964年10月15日1966年3月31日
次代
エドウィン・ブルックス(英語版)
先代
ジョン・ウォーン=モーガン(英語版)
ライギット選挙区(英語版)
選出庶民院議員

1970年6月18日1974年2月28日
次代
ジョージ・ガーディナー(英語版)
先代
ウィリアム・クラーク(英語版)
東サリー選挙区(英語版)
選出庶民院議員

1974年2月28日1992年4月9日
次代
ピーター・エインスワース(英語版)
司法職
先代
アーサー・アーバイン(英語版)
法務次官(英語版)
1970年6月23日 – 1972年11月5日
次代
マイケル・ヘイヴァーズ(英語版)
公職
先代
デニス・ヒーリー
イギリスの旗 財務大臣
第63代:1979年5月4日 - 1983年6月11日
次代
ナイジェル・ローソン
イギリスの旗 第二大蔵卿
1979年–1983年
先代
フランシス・ピム
イギリスの旗 外務・英連邦大臣
第8代:1983年6月11日 - 1989年7月24日
次代
ジョン・メージャー
先代
初代ホワイトロー子爵
(保守党副党首)
イギリスの旗 副首相
1989年7月24日 - 1990年11月1日
次代
マイケル・ヘーゼルタイン
先代
ジョン・ウェーカム(英語版)
イギリスの旗 庶民院院内総務
1989年7月24日 - 1990年11月1日
次代
ジョン・マクグレガー(英語版)
イギリスの旗 枢密院議長
1989年7月24日 - 1990年11月1日
外務大臣
  • フォックス1782-1783
  • グランサム男爵1782-1783
  • フォックス1783
  • テンプル伯爵1783
  • リーズ公爵1783-1791
  • グレンヴィル男爵1791-1801
  • ホークスベリー男爵1801-1804
  • ハロービー伯爵(英語版)1804-1805
  • マルグレーブ伯爵1805-1806
  • フォックス1806
  • ハウィック子爵1806-1807
  • カニング1807-1809
  • バサースト伯爵1809
  • ウェルズリー侯爵1809-1812
  • カースルレー子爵1812-1822
  • カニング1822-1827
  • ダドリー伯爵(英語版)1827-1828
  • アバディーン伯爵1828-1830
  • パーマストン子爵1830-1834
  • ウェリントン公爵1834-1835
  • パーマストン子爵1835-1841
  • アバディーン伯爵1841-1846
  • パーマストン子爵1846-1851
  • グランヴィル伯爵1851-1852
  • マームズベリー伯爵1852
  • ラッセル1852-1853
  • クラレンドン伯爵1853-1858
  • マームズベリー伯爵1858-1859
  • ラッセル伯爵1859-1865
  • クラレンドン伯爵1865-1866
  • スタンリー卿1866-1868
  • クラレンドン伯爵1868-1870
  • グランヴィル伯爵1870-1874
  • ダービー伯爵1874-1878
  • ソールズベリー侯爵1878-1880
  • グランヴィル伯爵1880-1885
  • ソールズベリー侯爵1885-1886
  • ローズベリー伯爵1886
  • イデスリー伯爵1886-1887
  • ソールズベリー侯爵1887-1892
  • ローズベリー伯爵1892-1894
  • キンバリー伯爵1894-1895
  • ソールズベリー侯爵1895-1900
  • ランズダウン侯爵1900-1905
  • グレイ1905-1916
  • バルフォア1916-1919
  • カーゾン侯爵1919-1924
  • マクドナルド1924
  • チェンバレン1924-1929
  • ヘンダーソン1929-1931
  • レディング侯爵1931
  • サイモン1931-1935
  • ホーア(英語版)1935
  • イーデン1935-1938
  • ハリファックス子爵1938-1940
  • イーデン1940-1945
  • ベヴィン1945-1951
  • モリソン1951
  • イーデン1951-1955
  • マクミラン1955
  • ロイド(英語版)1955-1960
  • ヒューム伯爵1960-1963
  • バトラー1963-1964
  • ゴードン・ウォーカー(英語版)1964-1965
  • ステュアート(英語版)1965-1966
  • ブラウン(英語版)1966-1968
  • ステュアート(英語版)1968
外務・英連邦大臣
イギリスの旗 イギリスの財務大臣
イングランド
  • ユースタス・オブ・ファーコンバーグ(英語版)1221頃-?
  • マンセル(英語版)1234頃-?
  • レスター1248以前
  • ウェストミンスター1248-?
  • フィスキャンプ1263以前
  • チスハル(英語版)1263-1265
  • W.ジフォード(英語版)1265-1266
  • G.ジフォード(英語版)1266-1268
  • チスハル(英語版)1268-1269
  • ミドルトン(英語版)1269-1272
  • ド・レ・レイエ1283以前
  • ニューバンド1283以前
  • ウィロウビー(英語版)1283-1305
  • ベンスティディ(英語版)1305-1306
  • サンデール(英語版)1307-1308
  • マーケンフィールド1309-1312
  • ホーサム(英語版)1312-1316
  • スタントン(英語版)1316-1323頃
  • ステープルドン(英語版)1323-1324頃
  • スタントン(英語版)1324-1327
  • ハーヴィントン(英語版)1327-1330
  • ウッドハウス(英語版)1330-1331
  • ストラトフォード(英語版)1331-1334
  • ヒルデスリー1338頃-?
  • エヴァードン1341-?
  • アスケビー1363-?
  • アシュトン(英語版)1375-1377
  • バーナム1377-1399
  • ソマー(英語版)1410-1437
  • サマセット(英語版)1441-1447
  • ブラウン(英語版)1440頃-1450頃
  • ウィザム(英語版)1454-?
  • ファウラー(英語版)1469-1471
  • スウェイツ(英語版)1471-1483
  • ケイツビー(英語版)1483-1484頃
  • ラベル(英語版)1485-1524
  • バーナーズ男爵(英語版)1524-1533頃
  • エセックス伯爵1533-1540
  • ベイカー(英語版)1545-1558
  • サックヴィル(英語版)1559-1566
  • マイルドメイ(英語版)1566-1589
  • フォーテスキュー(英語版)1589-1603
  • ダンバー伯爵(英語版)1603-1606
  • シーザー(英語版)1606-1614
  • グランヴィル(英語版)1614-1621
  • ウェストン(英語版)1621-1628
  • バレット卿(英語版)1628-1629
  • コティントン男爵(英語版)1629-1642
  • カルペパー(英語版)1642-1643
  • ハイド1643-1646
  • 空位期(英語版)1646-1660
  • ハイド1660-1661
  • アシュリー男爵1661-1672
  • ダンクーム1672-1676
  • アーンリ(英語版)1676-1689
  • デラマー男爵(英語版)1689-1690
  • ハムデン(英語版)1690-1694
  • モンタギュー1694-1699
  • スミス1699-1701
  • ボイル1701-1708
グレートブリテン
  • ボイル1708-1710
  • スミス1708-1710
  • ハーレー1710-1711
  • ベンソン1711-1713
  • ウィンダム1713-1714
  • オンズロー1714-1715
  • ウォルポール1715-1717
  • スタンホープ伯爵1717-1718
  • エイズラビー1718-1721
  • プラット(代理)1721
  • ウォルポール1721-1742
  • サンズ1742-1743
  • ペラム1743-1754
  • リー(代理)1754
  • ビルソン=レッグ1754-1755
  • リトルトン1755-1756
  • ビルソン=レッグ1756-1757
  • マンスフィールド男爵(英語版)1757
  • ビルソン=レッグ1757-1761
  • バリントン子爵1761-1762
  • ル・ディスペンサー男爵1762-1763
  • グレンヴィル1763-1765
  • ダズウェル(英語版)1765-1766
  • タウンゼンド1766-1767
  • ノース卿1767-1782
  • キャヴェンディッシュ(英語版)1782
  • 小ピット1782-1783
  • キャヴェンディッシュ(英語版)1783
  • 小ピット1783-1801
  • アディントン1801-1804
  • 小ピット1804-1806
  • エレンバラ男爵(英語版)(代理)1806
  • ペティ=フィッツモーリス1806-1807
  • パーシヴァル1807-1812
  • ヴァンシッタート(英語版)1812-1817
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