ザーヒル
この項目では、アッバース朝のカリフについて説明しています。その他の用法については「ザーヒル (曖昧さ回避)」をご覧ください。 |
ザーヒル محمد الظاهر بأمر الله | |
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カリフ(アミール・アル=ムウミニーン) | |
在位 | 1225年 - 1226年 |
出生 | 1175年 |
死去 | 1226年7月10日 |
子女 | ムスタンスィル ムスタンスィル2世 |
家名 | アッバース家 |
王朝 | アッバース朝 |
父親 | ナースィル |
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ザーヒル(アラビア語:الظاهر بأمر الله ابو نصر محمد بن الناصر 転写:aẓ-Ẓāhir bi-Amr Allāh Abu Naṣr Muḥammad b. an-Nāṣir, 1175年 - 1226年7月10日)は、アッバース朝の第35代カリフ(在位:1225年 - 1226年)。ナースィルの息子。
生涯
1225年の父の死後に即位するが、後を追うようにわずか9ヵ月後に没した。
彼は短い治世の中で2つの建設事業、チグリス川に架かる橋の建設と火事で焼失した聖廟のドームの再建を実施した。橋は存命中に完成したが、ドームが完成したのはムスタンスィルの治世になってからであった。
参考文献
- イブン・アッティクタカー『アルファフリー―イスラームの君主論と諸王朝史』2巻(池田修、岡本久美子訳、東洋文庫、平凡社、2004年9月)
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