オダンタラ事件

オダンタラ事件(オダンタラじけん)とは、ソビエト連邦によるスパイ事件[1]。ソビエト連邦留学中にソ連情報機関の工作を受けて来日したインドネシア人研修生のマデ・オダンタラが、ソ連情報機関員とみられる在日ソ連通商代表部員セドフ・V・Aらに指示され、日本の科学技術情報を収集してセドフらに手交していた事件である[1]1969年昭和44年)5月11日警視庁摘発(検挙)[1]。検挙当時、オダンタラは32歳、セドフは41歳であった[1][注釈 1]

概要

マデ・オダンタラは、1958年9月から約5年間ソビエト連邦に留学した際、ソ連の情報機関より獲得工作を受け、情報収集活動に協力する誓約書を書かされて、いったんインドネシアに帰国したのち、1964年(昭和39年)1月、政府賠償研修生として来日した[1]。来日してからは、ソ連情報機関員とみられる在日ソ連通商代表部員セドフ・V・Aらと数十回にわたって秘密の会合を開き、研修先の会社から盗み出した企業機密文書等を手交したほか、当該企業の製品等を提供して報酬を得ていた[1]

警視庁は、1969年5月11日、オダンタラを窃盗容疑で逮捕したほか、外務省を通じてセドフらの任意出頭を要請したが、セドフらは出頭を拒否して、そのまま急遽ソ連に帰った[1]

脚注

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注釈

  1. ^ ロシアには「1人の工作員がバケツ一杯の砂を運ぶ」という言葉があるほど、それぞれの工作員が大量の機密文書を収集するのが特徴だといわれる。ソ連時代にはソ連国家保安委員会(KGB)があらゆる部門にエージェントを置き、その数は100万人を下らないともいわれた。

出典

参考文献 

関連文献

  • 外事事件研究会『戦後の外事事件―スパイ・拉致・不正輸出』東京法令出版、2007年10月。ISBN 978-4809011474。 

外部リンク

  • 警察庁 (2004年7月1日). “第2章警備情勢の推移 対日有害活動1”. 警備警察50年『焦点』第269号. 警察庁. 2022年5月20日閲覧。
日本におけるソ連・ロシアのスパイ事件
1940年代
1950年代
1960年代
  • オダンタラ事件(1969)
1970年代
  • コノノフ事件(1971)
  • クブリッキー事件(1974)
  • マチェーヒン事件(1976)
  • ドリュー・ゴットリーブ事件(1976)
1980年代
1990年代
2000年代以降
レポ船事件
関連項目
  • 背乗り
  • 進展実業ココム違反事件(1976)
  • 東芝機械ココム違反事件(1987)
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