アレクサンドラ・パヴロヴナ

アレクサンドラ・パヴロヴナ
Александра Павловна
1790年代後半、ウラジーミル・ボロヴィコフスキー(英語版)

出生 1783年8月9日
ロシア帝国の旗 ロシア帝国サンクトペテルブルク
死去 (1801-03-16) 1801年3月16日(17歳没)
ハンガリー王国ブダ
配偶者 オーストリア大公ヨーゼフ・アントン
子女 アレクサンドリーネ
父親 パーヴェル1世
母親 マリア・フョードロヴナ
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アレクサンドラ・パヴロヴナロシア語: Александра Павловна, ラテン文字転写: Alexandra Pavlovna, 1783年8月9日 - 1801年3月16日)は、ロシア大公女オーストリア大公ヨーゼフ・アントン(レオポルト2世の八男)の最初の妃。

ロシア皇帝パーヴェル1世と皇后マリア・フョードロヴナの長女(第3子)として、サンクトペテルブルクで生まれた。兄にアレクサンドル1世、コンスタンチン大公、弟にニコライ1世がいる。

1799年10月30日、ヨーゼフ・アントンとブダ(現在のブダペスト)で結婚。1801年に長女アレクサンドリーネ(夭折)を出産後、逝去した。


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1キリル・ウラジーミロヴィチによって認定された。
2ウラジーミル・キリロヴィチ・ロマノフによって認定された。
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